投稿者「熊井 三治」のアーカイブ

熊井 三治 について

経歴 西洋医学、東洋医学、環境医学、自然療法などの多面的医療を展開しています。多くの友達申請有り難うございます。申し訳ありませんが、基本的には知人友人を中心と致しておりますので、宜しくお願い申し上げます。 自己紹介をカスタマイズ 鞍手クリニック 院長 Director 以前の職業: 朝日新聞西部本社の所長・産業医 出身校: 鳥取大学医学部 福岡県立東筑高校に在学していました

北九州市 震災がれきその⑯チェルノブイリと消防団


スイカを植えました。今年はかなり食べれます。




スイカ畑の上にシャクナゲ発見



キュウリもたくさん植えました。今年の夏はきゅうりを食べてダイエットです。


家の陶芸室にまた野良猫が子供を産みました。私が行くと親が逃げて子猫が隠れました。意外とかわいい


母猫が遠くで「私の子に手を出すな!ニャロメ!」と言って私を睨んでいました

北九州市のがれき焼却の広報ビラはひどかった。がれき焼却賛成の人たちには子や孫はいないのでしょうか。がれきの放射能は空間線量は測れないとあれだけ言っているのに。。。バグフィルターが千何百度となって気化し元素になった放射性同位元素を取れるはずがありません。200百度くらいに冷やすという話もあるようですが、排ガスを大きな冷蔵庫の中に通すのでしょうか?教えてください。若松の響西海岸あたりに灰を埋めるそうですが、ブルーシートかビニールで囲うのでしょうか?それとも厚いコンクリートの中に埋め込むのでしょうか?でもコンクリートの中に埋め込むと経費が掛かりすぎて儲からなくなりますよね?でも300年くらいはもれないように厚い厚いコンクリートで囲まなければ玄海の海産物は全滅です。農協や漁協は何をしているのでしょうか!!

チェルノブイリから遠く離れて暮らす村々にはとても多くの消防団が結成されています。山火事が起こらないように警戒し、定期的に見回っています。26年たった今も大地に振った放射性同位元素が火事で空に舞い上がるのをとても恐れているのです。再び同位元素が空から降ることが一番有害なことを知っていて怖いのです。親せきや友人が癌やその他の病気で多く死んでいるため、彼らには体験的な理解があるのです。もちろん事故に対応した消防団員も多数死亡しています。わざわざ北九州市から自らを洗脳するるために釜石市に行き、空間線量計を見て「ここは北九州より線量が低いわ」とみずからに正しいことをしているという自己暗示にかけ、それがテレビでそのまま放映されているのです。私は北九州市の職員が視察に行くべきところは釜石ではなくチェルノブイリではないかと思います。現地の人の声を聴くべきです。放射性がれきの放射能をを空間線量計で測ることは溶鉱炉の温度を照度計で測っているより愚かなことです。このシリーズは⑳で終わりたいと思います。もうバカバカしくて付き合えません。そんな暇もありません。

北九州市 震災がれきその⑮言うは易し行うは難し


チェルノブイリとともに 。。。10年のあゆみ 深江 守 編集

以前「私たちの涙で雪だるまがとけた」とかいう本を読んで家内の会社の有機コーヒーの売上金の一部をチェルノブイリの子供たちに支援することにしたことがあります。その子供たちの支援を始めた人が写真の本の編集者で北九州市にいるらしい。

 今日私のブログを見ている保健師に、「先生は医者なんだから実際に抗議に出かけてはどうですかと言われた。インパクトがあると思いますよ」と言われた。「忙しいし有給休暇を取っていくのもね~~」と言うと「それはみんなそうですよ」と言われたが、なるほどそのとおりである。言うは易し行うは難しである。

 本日テレビで試験焼却の抗議に来た人たちが写っていたが、たった14人でした。少ないけれど上記の意味では14人は多いと思います。その中にこの本の編集者の深江氏がいました。穏やかな顔をしていましたが、正義感と行動力のある勇気のある人です。こういう人こそ市会議員になってもらいたいところです。

北九州市 震災がれきその⑭己心の魔(日本人の三つの「さえ」病)




そろそろサクランボがなっているのではないかと思い、山裾野に行ってみましたがすでに鳥に食べられていました。二、三個食べましたがとても甘く美味しかった。

新しい日本人論先日先輩医師と会食をしました。彼といつも時事ニュースについての話題が多く、東西日本の震災前1年に私は「これからの日本人は絆が大切」ということを彼に説いていたところが、震災後みんなが絆を言い出したために「先生の先見の目はすごい」と震災後高い評価を受けました。そういうこともあってかまたその話になったので、「先生もっといい日本人論がありますよ」というと彼はメモ帳を取り出して、「それは何ですか!」と真剣に聞いてきた。それは「3つのさえ病に日本人はなっている」と答えました。すなわちそれは「自分さえ良ければ、お金さえあれば、そして今さえよければという三つのさえ病です」と説明しました。
 それは簡単に言えば偏差値教育偏重と倫理道徳教育の放棄による人間性の喪失です。人に勝つために全能力を使う。そのためには理論偏重の左脳人間が勝利を得ることになります。というか日本人が左脳人間になってきています。自己理論が正しいとそれを押し通し、他人の言うことは聞きません。そこに右脳の働きや左右脳を統合する機能の働きは消失して有りません。病気を真に治すには統合医療が必要ですが、健全な人生を送るには統合脳の力が必要です。時間がないので飛躍しますが原発事故もがれきの問題もこの3つのさえ病が原因なのです。人のことを考えて生きていたら原発事故もがれきの問題も生じません。


 高学歴の人に多い発達障害頭のが良い人にどうして発達障害があるのかと皆さんは思うでしょうが、サバン症候群やシリコンバレー症候群のように一つのことには優れているが、世の中や人間のことが分ってない人が多いのです。要するにKYです。私は多くの人が尊敬しているアインシュタインが嫌いです。アインシュタインは肉親をナチスに殺され、アメリカのルーズベルトにドイツで先に原爆が作られたら大変なことになるといって、原子爆弾を早急に作るように進言します。しかしドイツでは原爆は作られてはなく、結局日本に原爆は落とされました。ある日本人の老人が「あなたのような人がどうしてあんな恐ろしい原爆を作ったのですか」という手紙をアインシュタインに書きました。そうするとアインシュタインはその老人が書いた手紙の裏を使って「あなたなんかに私の事情は分からない」と書きなっぐってよこしてきました。しかし真の事情が分かっていなかったのはアインシュタインのほうです。ダイナマイトの事例も既にありました。知らないはずはありません。自分が正しいと思っている理論を後先を考えず突き通す。そして絶対他人の考えを取り入れず、それを為政者が悪用する。原発と御用学者の関係も似たところがあります。御用学者もある種の発達障害です。




晩柑の花が咲き出しました。晩柑の花は温州と違っておとても大きです。上が八朔で下が晩白柚です

 己心の魔ブログだから言えますが、私の本当に興味あるところは統合医療でもなく、企業のメンタルヘルスでもありません。安心立命です。笑ってはいけません。学生時代から三度の飯より宗教が好きとという時もありました。しかし還暦もすぎ修行も40年以上になって思うことは、所詮人生とは魔との戦いに尽きるということです。それも自分の心の中にいる魔です。私たちは戦争映画やアクション映画が好きです。お面白いからです。でも2次元画面の映画には参加はできません。実はこの世も映画みたいなものなのです。この世のことを現世と言います。これは現世(うつしよ)という投影された世界のことで真実の世界ではないということです。三次元の映画なのです。でも現世での私たちの人生映画にはあの世からの影響を受けることがあります。魔は憎しみや争いを好みます。また地獄はとても苦しいので私たちの霊子線に乗ってやってきます。そして私たちをあおり、より一層私たちに闘争や憎しみを抱かせていくようにするのです。そして地獄の世界と私たちの精神のトンネルの数や大きさが大きくなると、死後私たちの行くところは決定してしまいます。ですから私たちは外部に悪を探していくだけではなく、心の中に入ってくる魔にも十分注意が必要なのです。そしてそれを判断する簡単な方法として自分が3つのさえ病になっていないかをチェックすることが大切ということなのです。




山ふもとにシャクナゲの花が咲き始めました。これが終わるともう梅雨です。しかし今年の梅雨は憂うつな梅雨になりそうです。

予期不安変なことを言いましたが、残りの何行かを言うための迂回です。北九州市の放射性がれき搬入に対しては反対者も多くいます。しかし私はがれきに関して異なった不安を持っています。反対している人は自分が癌になりたくないというより、子供たちや若者の将来を心配している人がほとんどです。もしある男性が自分の子供のことを心配して放射性がれき搬入に反対したにもかかわらず、がれきが燃やされ何年かのちにその息子が白血病になって苦しい死を遂げたとしたら、その親はうつ病か半狂乱になり、大きな憎しみが生まれるでしょう。いずれにしても、今回の件で北九州市が反対派と賛成派で2分され大きな亀裂が生じ、怒りや憎しみが生まれ北九州市民の私たちの心は悪魔の餌食となるかもしれないという不安です。そこまでして西日本きって早急に瓦礫焼却しますか!!??考えすぎですか?でも私は統合脳で考えていますから。それともその頑固さが発達障害でしょうか??

北九州市 震災がれきその⑬(頭の禿げた人には気の毒ですが。。。)





以前リンゴとケールで作った青汁です。人参も入れるとよいです。牛乳を入れると飲みやすくなります。



がれきのことを書くたびにアクセスが減ってきますが、コメントを見ると期待している人もいらっしゃるようですから、アクセスは数より質だと思いこのシリーズまだ続けていこうと思います。間寛平がやってきたシリーズ、黒部アルペンルートシリーズも中断で、統合医療13のスーパーテクニックに至っては1回も書いていない状態です。これも原発の爆発のせいですが。。。
 
 さてがれきもいよいよ焼かれそうな状態になってきました。放射性同位元素はデトックスが難しいのであまりプラス思考のことは書けませんが、いくらか役に立つことを書きたいと思います。私は心療内科・精神科医なので皆さんのストレスにならないように注意しています。アルコールに強い人弱い人がいるように、放射線にも強い人弱い人がいます。此の放射線に弱い人に基準を合わせて書きたいと思います。「職場でタバコを吸って何が悪いか」という大昔の古い話ですが友人の医師から聞いた話です。40代の若い女性がタバコが嫌いで隣で同僚がタバコを吸いだすと、その度ごとにそちらに卓上小型扇風機を向けて煙を避けていたとのことです。笑える話でもありますが、何年か後に彼は肺がんで死にました。吸っていた同僚はいまでも長生きしているよとのことでした。

 このように人は本能的に自分の弱点を知っていて、その有害な原因に対して恐怖することがあるようです。しかし、たとえそれが隣人のタバコの間接喫煙による発癌であったとしてもそれを証明する方法もなく死んで行かなければなりません。今はこのことが認められ、タバコを吸う夫の妻の肺がんの確率は2倍になります。離婚の正当な理由になります。それではこの放射性廃棄物にもなるがれきの焼却は如何なものでしょうか?当然それは喫煙が分煙されているように扱われるべきです。ところがこれは分線できるものではありません。ましてや全国に拡散焼却をすることは許されるべきではありません。まるで40年前の喫煙職場と同じ状態です。ナンセンスです。古い!!

 皆さん床屋に行ったらそのまま帰ってきてはいけません。切った髪の毛を持って帰って保存してください。がれきが焼かれて放射性同位元素が体に入り、発癌しても誰もがれきの放射性同位元素が原因だと認めてくれません。たまたまその人があるは自分の子供ががん体質であったといわれるだけです。でも髪の毛の月ごと年ごとの同位元素分析がそれを証明する手立てになるかもしれません。私のように髪の毛がない人は残念です。尿をためて冷蔵庫に入れるのも限界があるし、家族がビールと間違えて飲んでもいけないし。。。

北九州市 震災がれきその⑫フラクタルな世界(放射性同位元素と原子炉)


赤い月。原因は黄砂です。



花粉症には強いが黄砂には鼻炎が出てしまいます。化学物質が黄砂と結合しているため強い症状が出ます。戸畑から見た若戸大橋です。かすんで見えますが、向こうの若松の山が見えません。今度はこれに放射性塵埃が参加するかと思うともう鼻炎では収まらない。

とうとうブログ開設以来記事を書いてアクセスが初めて100を下回りました。このままがれきのことを書いていたら90以下になりそうです。今日の株価と同じ感じになってきました。一体どうしたらこの北九州市の危機が伝わるのでしょうか。そこで考えて考えていい方法が見つかりました。すなわちフラクタルを説明すればよいのです。昔書いた本に極大は極微に通じると書きました。相似形を自己相似形すなわちフラクタルと言います。すなわち原子核の周りを電子がまわっている姿は太陽とそれを回る惑星との関係に類似している現象です。宇宙は人体で地球は細胞です。細胞が人体に逆らって暴走すると人体を守るために細胞は自死(アポトージス)させられます。だから地球の環境が汚染すると宇宙は地球を見捨てるかもしれません。

 話が回りくどくなりましたが、要するに放射性同位元素は原子炉と同じ機能を持っているのです。フラクタル構造なのです。極微な放射性同位元素より原子炉はなってますが、その機能は同じなのです。ですからたとえばセシウムやプルトニュウムの元素が呼吸器から人体に入ると、それはたくさんな微小な原子炉を人体の肺の中に作ることになります。その原子炉はアルファ線、ベーター線、ガンマー線、中性子線などを出し続けます。そしてそれは半減期が2万4千年のプルトニュウムの場合は一生人体の中でむき出しの原子炉として働きます。放射線が出してできる活性酸素を除去する人体の抗酸化物質は尽きはて、がん化した細胞を攻撃するキラーT細胞も限界を超えます。今度こそ分かったでしょう。外部被ばくと内部被ばくとは次元を超えた害があることが。。

 クリニックにはレントゲンの機械があるので、毎年クリニックで撮影室からの放射能漏れをチェックしています。レントゲンのスイッチを入れた時に鉛のドアの外で漏れた放射能を測定します。いつも値切りますが、測定せざるを得ないことを業者も知っているので強気です。15万円くらいですが、貧乏クリニックの大体一日の売り上げです。鉛に囲まれたレントゲン室で50マイクロシーベルトをほんの一瞬出しても放射線が漏れ出る分けないのですが、法律ですからやらなければなりません。皆さん医療の世界ではこんなに微量な放射線の外部被ばくに対してもこんなにお金をかけて厳重に管理しているのですよ。多種多様の放射性物質がついたがれきを安っぽい空間線量計でチェックしているいい加減さが分かりますか??そしてその小さな原子炉を空にばら撒くという暴挙が分かりますでしょうか。。。アーメン


北九州市 震災がれきその⑪天網恢恢疎にして漏らさず



すべての犠牲者に白いボタンを

連休の3日に農作業以外は一日かかってブログを書きましたが、アクセス115で初日としては最低を記録しました。危機感が無いのかそれとも知識が無いのか知らないけれど、放射性同位元素を全国にばらまくということの重大さにあまりにも関心がない人が多すぎるようです。残念です。

 一方、原発が爆発してからスピーディの結果が出ておきながら翌日アメリカにはデーターを流したものの、国内で公表せず同元素の落ちた方向に避難して多くの人が被ばくしてしまった。5種の放射性物質が出たと発表しても元素の名前を言わないので、国民はメルトダウンがずっと分からなかった。原発事故対応はこれからというのに早くも終息宣言。国内でプルトニュウムが出ているのに、外国でこっそり報告する研究者たち。マスコミは隠蔽体質というが、そうではなくてアメリカ国内でプルトニュウムやウランが出ているのに、日本の研究者が国内のプルトニュウム汚染を発表しないのは、日本の研究者の国際的評価が落ちるから仕方なく発表したのだと思う。「何をしているのだ日本の学者は」と言われてしまうのである。一流の学者としての国際的評価が重要なのです。彼らは。御用学者は自分の名誉ばかり考えて人に奉仕するという意識がなく、隠蔽という意識すらないのです。国民に対して申し訳ないなんて思ってもいないのです。

 以前NHKで安全神話の崩壊という番組で東電の役員が13メーターの津波が来ることは聞いていたが、対策に数百億かかりそんなことを言い出したら大変なことになる。と意味不明なことを言っていた。東電の役員が申し訳ないと言っているところを聞いたこともなく、彼らは自分たちのことしか考えていなく悪いことをしたという自覚がない。数百億どころか自己なために何十兆円もいることになった。東電払えずほとんど税金です。津波が防げないならB1の2個の冷却装置の予備電源を一個くらい高いところになぜ移動させなかったのでしょう???何かその次の特集では御用学者が連名でNHKに抗議したと聞いているが、そんな連判状のようなリストは後で恥の上塗りになります。

 絆という言葉で国民をマインドコントロールし、ただちにがれきをばらまく。これで福島と放射性同位元素による九州のがんの発生率や心筋障害の優位さが出なくなります。なかなか良い作戦を仕掛けてくるものです。やはり悪い奴は頭がいい人が多い。バッチリ先を見通している(国民への危険は見通せないが、自分に対する将来の危機予測は天才です)。現地の人が「がれきを焼かせてくれ」と言ったら「被災地3県では瓦礫は焼けないことになっているんです」と言われたというのも意味不明です。というか私にはよく理解できますが。。。

 がれきが安全と証明するのに、空間線量計を使って説明する無知には恐れいいります。プルトニュウム、ウラン、ストロンチュウムは測れません。というか空間線量計でがれきの放射線は測れません。もちろん核種もわかりません。しかも1メーターも離れてアルファ線など測れません。島田市や北九州市はかなり勉強不足です。それで市民にもっともらしく説明するのはあり得ません。

 天網とは神様が悪人を捕える網です。恢恢とは広く大きいという意味です。疎にしてというのは粗い網目ということです。これは老子の言葉ですが「天の網はこの世では広く粗いが悪人は何人たりとも逃さない」ということです。私の解釈では「神様は私たちを修業させるためにこの世に出しています。そしてそのために自由意思が与えられています。ですから悪いことをしても自らが気づき修正しない限り修行になりません。神様が私たちが生きているときに手出しはしません。悪人でも長生きできます。しかし神様はちゃんとその人がした行為や生き様がわかっています。問題は死んだあとです!半端じゃありませんよ!」ということです。

 みんなあの世がないと思っています。死んだら何もないんだから、悪いことや何をしても死んでしまえば同じ無となり問題なしと思っています。しかし彼らは想定外が得意ですから、死んでも神様に「あの世があるとは想定外でした!知ってたらこんな生き方はしませんでした。」と言っても神様は決して許してくれないということです。万華鏡(閻魔帳?)に記録してありますから。

 がれき全国拡散反対!子どもと女性を守りましょう!ああまた寝るのが遅くなった。怒りでボタンが赤くなった。


北九州市 震災がれきその⑩百姓の次男が医者になった理由(ワケ)



昨年良くできた黒スイカとマクワウリの苗を今年も頑張って植えました。

出来レース最終バージョン とうとう北九州のがれき受け入れも現実的となりました。がれきの試験焼却という最期の出来レースも終わろうとしています。そういった中、ブログでがれきのことを書いても、アクセスが100にも届かず、がれきのトップページすらもアクセス解析で3位か4位に沈んでしまうと言う関心のなさです。私のブログを見た人は幸いです。かなり良いことを書いているつもりですが、軽く見られている嫌いがある印象と焦りから、上記のタイトルで違った角度から説明することにしました。結果的に場面によっては自慢のように聞こえる箇所がありますが、この放射性がれきに関して特別の見識と経験を持つ医師としての使命感と作戦からのことでお許し下さい。

 自給自足農園での生活私の子供の頃は自給自足で生活にお金を必要とすることがありませんでした。お金が無くても生きれます。自然の大地が有れば。お腹がすけばその辺の柿や枇杷の木に登り、お腹いっぱい食べ食事ともなれば川で釣ってきた魚の甘露煮か地鶏の卵を拾ってきて卵がけ御飯で食べました。時には山で仕掛けた罠で山鳥を取りその焼き鳥がとても美味しかったのを覚えています。芦屋の海も近くに有りましたが、多くは川から取れる沢ガニ(上海がにみたいに美味しい)、コイ、フナ、どんこ、ゲール、ナマズをとって食べました。ウナギはいなかったのでドジョウ汁や蒲焼きで栄養価の高いドジョウを食べていました。夕方は山羊から乳を搾るのが私の仕事で、牛乳はありませんでしたが毎日山羊の乳をたくさん飲んでいました。


農園の崩壊が始まるところがその極楽のような生活に大きな変化がやって来ました。豊富な川魚が取れていた川のコイやフナが全て白い腹を見せて死んでいたのです。大きな白い側腹部は曲がり、その頂点だけが白い島のようになって浮かんでいました。その姿は至る川至る処で見られました。ホリドール(別名パラチオン)という殺虫剤が導入され使用されるようになり、田や川の生物は死に絶えました。たとえ生き残った魚がいても、とてもそれを食べる気にはならない悲惨な状況でした。私の愛犬ドンもたまたま風で飛んできた農薬の袋に一瞬顔を入れてしまいました。私は慌てて袋を取りましたが、犬の顔は豚のように腫れてその1ヶ月後死にました。肥料になるようにミカンの木の下に埋めました。パラチオンは後に発ガン性が証明され現在日本では使用されていませんが、その頃2人若い農夫がガンにかかり死にました。その一人がわたしの父でした。

ガンの苦しみ45歳、発見されたときは既に進行スキルス胃癌(タレントの逸見氏がなった遺伝性のある難治ガン)でした。手術はしたものの転移が起こり、手術創はやがて開きそこからも食べたものが出てきていました。ガンが転移した皮膚は化膿し膿なのかガンなのか分からないような浸出液が出ていました。ガンの床においても死後の財産分けを要求する親戚がやってきたり、今さら「顔が青い、青すぎる」といって父の心を傷つける見舞い人が来たりして、父の心は穏やかでありませんでした。その上父は母に「親が死のうとしているのに子供達が2階で兄弟げんかをしている」と嘆き「お前が死んだら子供達が大変になるので身体に気をつけなさい」と母の健康を気遣ったとのことでした。

父の死やがてその時がやってきました。大牟田から2週間ほど看病の手伝いに来ていた祖母と母と私と兄が父の臨終の床の周りを囲んで今いました。母ではなく祖母が大粒の涙を流しながら「美佐夫さん頑張らんね!小さな子ば残してどぎゃんすっとね!」と絶叫しました。父の目はそれに答えるように天空を移ろい。やがて上方の一点で止まってしまいました。その時の光景は忘れられませんが、祖母のいっていたようにガン遺児としてのその後の苦しみはまだ9歳の私には理解できていませんでた。


菜の花ではありません。青汁の元祖ケールの花です。

菜の花畑に救われて母は父からいわれたように健康に対する意識が高まり、しばらく健康食品に熱心でした。その時カネミのライスオイルが健康によいと言うことで、私達はこの米油を毎日ケールの青汁に入れて飲んでいました。青汁にはビタミンAが多く、ビタミンAは脂溶性なのでこのライスオイルに溶け込みケールのビタミンAを吸収しやすくするという良いテクニックだったと思います。ところが値段が高く、丁度その時農園の菜の花が良く咲き菜種油がとても沢山取れました。結局同じ植物油なら、ただの菜種油をケールジュースに使うことにしました。その後数年して油症患者が多発しました。パイプに穴が開きそこからPCB(ダイオキシンを含む)が漏れたのです。私達親子は菜の花に救われたのです。自然が助けてくれたのです。

医師への道高校2年の時あるインスピレーションがやってきて医師になるかどうか考えざるを得なくなりました。私はこのお金のいらない農園が気に入っていましたので農学部に行くつもりでしたが、北九州市の大きな本屋に出かけて仕事の適性について書かれた本を読みました。そこには医師になる資格は1.博愛精神に満ちていること2.勉強好きなこと3.屈強な身体という3つの条件が書かれていました。「こりゃダメだ。3つとも無いわ!」と言うことですぐ諦めました。その次の年もう一度インスピレーションがやってきました。「今日は勉強せず、医者になるかどうか考えろ」と言うことでした。と言っても明日は学校への願書提出の最終日でしたので、一日中考えることにしました。私は自然は大好きですが人間が嫌いですから、医者になる勇気はとてもありませんでしたが、父の悲惨な死、パラチオンやカネミライスオイル事件などを体験し、いつまでも平和は続かないという人生に有る種の危機感を感いていました。医者になってもその厳しさから逃れることが出来るとは思わないが、幾ばくかの抵抗になるかなと思い。医学部に行くことを決意しました。翌日担任にその事をいうと「医学部など行けるわけがないだろ!お前はアホか!」等々さんざん罵倒されました。当時の教師は九大に自分のクラスから何人行かせることが出来るかが評価になっていましたので、マイナス1でも、担任はもうカンカンでした。と言っても願書は書き換えることが出来ません。当然覚悟していましたが結局浪人して1年後、学生運動で東大の医学部入試が無く600人の受験生が全国に散らばり厳しさを増し、希望の東京には行けませんでしたが山陰大学医学部に進むことが出来ました。

ガンは免疫大学時代のことを書くととても長くなりますので、簡単に延べたいと思います。そんな分けで医学部に入ったのですから、学生時代から病理学教室に入り込みガン組織を見たりマウスの免疫実験をさせてもらったりしていました。当時やはり産婦人科医から病理学に変わりガンの研究をしている風変わりな講師がいました。その先生の影響もあり、そこでは私はこれからのガン治療は免疫だと思い。夏休みや冬休みを利用して金沢大学の服部内科で血液学や和歌山県立耳鼻科でアレルギーの勉強をしたりしました。そして友人と話し合い彼は千葉大学多田富雄先生のところで血清免疫を私は九大細菌学の野本喜久夫先生のところで細胞性免疫を勉強してきて、お互いディスカッションして知識を共有していきました。ガンは自分の免疫力を無視しては治らないという結論に達していました。

抗ガン剤治療の矛盾もうみなさんも放射線科医の近藤氏や少数の医者が抗ガン剤に厳しい見解を持っていることをご存じでしょう。私も卒業後は多くの抗ガン剤を使いましたが、ガンの症例によっては延命は出来ることもありますが、多くは免疫力も完膚無きまで抗ガン剤で叩かれ苦しい死を迎えてしまいます。最後はガンで死んだのか副作用で死んだのか分からなくなるくらいです。ある抗ガン剤と放射線療法を専門とする婦人科の同僚に呼び出され「君は東洋医学をやっていると言う話しですが、妻がスキルス胃癌だが抗ガン剤は使いたくない。何か良いものはないか」と聞かれました。「余命3ヶ月という厳しさではいくら漢方でも期待できませんよ」と言いながら中国から漢方薬と免疫力を高める霊芝を輸入し使ったところ以後6年間元気で長生きしました。抗ガン剤もケースによっては使って悪いことはありませんが免疫強化療法はすべきです。でも多くの西洋医は漢方生薬を使うことは許しません。


30歳の時始めた農園スタッフ。トラクターはもう5台目位。

統合医療への道その後私は統合医療へ進むことになりますが、統合医療は端的に言って患者さんを身体と心と社会的環境ストレス、食などの自然医学から見ていく統合的治療アプローチです。西洋医学に反する代替医療ではありません。私は内科を一通り、心療内科と精神科、さらには産業医としての経験も長く積んでいます。勿論農業は幼いときからの自然農法の知識と30歳頃から郷里の荒野とかした農地を開墾しホリスティック医療実践の準備を始めました。

私の放射能における知識と経験ここはどうしてもがれき反対のためにアピールしないといけないところなので、自慢と取られてもしかたりません。以上のような努力の上に私の放射能についての知識と経験は特殊です。時間がありませんのでこれも誤解を恐れずはっきり言いますが、私は原発の電離放射線の特殊健診の経験もありますし、内分泌内科では長く放射性同位元素を使った仕事と研究をしていました。私の博士号も放射性同位元素を使った糖代謝の研究で、アメリカの一流紙にも載りました。以後複数の企業の産業医経験が長く、産業衛生学会や精神神経学会の指導医また労働衛生コンサルタントの国家資格もあります。そんな医者は日本で私しかいません。おまけに放射能温泉の発見者で、もう昔から放射線測定器を腰に巻きマイクロシーベルトは体感覚として知り尽くしています。しかし北橋市長に早くからメールをしていても私が20人の専門家に選ばれることも呼ばれることもありません。どうせ御用学者みたいなヒトが集まっているのではないでしょうか?出来レースですから。

今から農作業にいってきますからここで一端アップしますが、夜またアップします。終わりではありません。

御用学者の罪震災がれきに関しては原発事故前の安全基準が100ベクベル以下であったのが8000ベクレルまでOKになった。それでも日本学術会議の提言ではがれきが焼かれても周辺住民が受ける放射線被曝は自然放射線の10000分の1で健康被害無しという。本当ににそれで良いのでしょうか。御用学者は原発事故が起こるのも1億分の1とか1千万分の1といっていました。それが4つお釈迦で4乗ですから、トンデモナイ確立が現実となったわけですから、彼らの1万分の1とは相当危険であると言っているのと同じではないでしょうか。医療被曝やピカドンの外部被爆と内部被爆とはその障害において次元が違うほど異なります。外部被爆は一瞬ですが、内部被爆はほとんどが死ぬまで続きます。放射性同位元素は多数有り、口からはいるよりは空から降ってくるのがとても害が大きいのです。たとえばプルトニュウムは口から入ればヨードの10倍の害ですが呼吸器から入れば何万倍にもなります。がれきの放射線を核種別に正確に測ることは不可能です。またその害について提言すること自体おめでたい。

がれき焼却後最悪のシナリオ今日本のがれきの拡散焼却に最も反対しているのはアメリカ西海岸の女性達であろう。西海岸にプルトニュウムやウランが降ったからである。国内に放射性同位元素が降ったのは一瞬で長い時間は太平洋に降下した。しかし、マーク1もアメリカが輸出した欠陥品でもあるし、地震と津波による犠牲者も多いためまだ同情的である。しかしながら、がれきが焼却され再び太平洋に放射性物質が降下するとなると同情が非難と軽蔑に変わるかも知れない。今グリーンピースやシーセパードも静かにしているが「日本人は鯨を食べイルカを殺し、挙げ句の果ては放射性物質で海を汚す」と非難を始めるかも知れない。何年か後に、ががれき汚染による疾病の増加の原因が統計的手法で明らかになれば、日本の農産物、海産物は外国に売れなくなりTPPどころではなくなる。がれきは現地でコンクリートで埋め固めるべし。放射性同位元素は経口より経呼吸器が最も被害が大きくなる。

自分だけは大丈夫とみんな思っている昔英語の受験勉強で随筆集を訳していた。その中で記憶に残った一編がある。第二次世界大戦の兵士の手記の英文があった。「今ここに死に絶えた兵士達。彼らは皆自分が今日死ぬと思ってはいなかっただろう。この私も自分が明日死ぬとは思ってはいない。しかし私もこの死に絶えた兵士のように自分だけは死なないと思い込んでいるに過ぎないのだ」という一説であった。父の死やカネミライスオイル事件を通して、この言葉は私を納得させるものであった。みんなも「放射性同位元素はほんとの所よく知らない。しかし学者も安全といっているので多分大丈夫だろう。万一害があったとしても自分は大丈夫さ。」そうみんな考えているが、それは何の保証もない。

ガンは苦しく辛いです>みんなガンは怖いと思っているが本当の怖さが分かっていない。厳しい治療に絶えても、いつ再発するかという不安に勝てますか。転移が見つかったときのひどい落ち込みが分かりますか。さんざん抗ガン剤を打たれ、もう治療できませんと医師に言われ、余命宣告付きで病院を追われたときの絶望感が分かりますか。家族の苦しみやガン遺児の苦しみが分かりますか。ガンは予防が一番で最高の治療です。それでもあなたは8000ベクレル以下のがれきの焼き灰が空から降ってくるのを吸いますか。可能性が少しでもあれば避けるのが1番合理的な考え方でしょう。間違ったことにあらゆる理由付けをしても、波寄せる砂浜に「安全」という文字を書いて満足するようなものです。


私は「微量放射線は身体に良い」というホルミシス効果説ですここまで言うとみなさんは私を放射線に神経質な医者と考えるでしょう。しかしそうではありません。放射線障害の直線仮説とはどんな微量でも放射線は害があるという考え方。しきい仮説とはある程度微量になると全く害が無くなるという仮説。ホルミシス効果説というのはある程度微量になれば害が無いどころかガンにもならず寿命も延ばす効果があるという説です。ところがこのホルミシス効果はラドンなどの自然放射線やラジウムのガンマー線におけるもので、放射性同位元素には当てはまりません。ラドンはアルファ線でかなりきついものですが、風呂から上がり30分もすれば身体から全て抜け出てしまいます。軽いジョギングや日光浴みたいなものです。ですが、プルトニュウムは2万4千年の半減期で、肺に入ったら出てきません。ストロンチュウムは骨の構造に食い込みデトックスできません。ダイオキシンの方が科学構造物ですのでまだデトックスできます。ですから放射性同位元素によるガンは統合医療でも治りにくいのです。


1901年、これは官製八製鉄所が出来た年です。富国強兵の最中、日本の歴史的に地震のもっともない場所が選ばれて建てられました。先日その話しをタクシーの運転手にしたら、運転手が「天皇家の土地もあり、天皇家が日本の国の発展のために寄進した」と言っていましたが、それは無かったと思います。しかし北部九州は神宮皇后がいたところです。この溶鉱炉の上にある帆柱山は神宮皇后の軍艦の帆柱を取ったのを記念して名付けられました

不思議な都市、北九州今までは北九州市は運に恵まれていました。不謹慎ですが2度の原爆を避けることが出来ました。もし広島が曇りだったら北九州市へ落とすと決められていました。2個目は北九州市が目標でしたが、曇りで長崎の落とされました。でも今度こそ3度目の正直となりました。






北九州市 震災がれきその⑨6月決定かー反対疲れー



ピザ窯の耐火煉瓦とブロックを買ってきました。車が沈みそうでした。500キロはあったかな?合計約3万円。その他耐熱モルタルなどの備品入れて3万5千円くらいかな?




組みたて予想図を作ります。この後、平均を取った土台の上で耐熱モルタルで煉瓦を堅めながら別の場所で作っていきます



土台は業者に頼みましたから1万5千くらいかな?




ピザ窯完成後、バンバン燃やして耐熱モルタルを固めていきます。くれぐれも耐熱セメントは使わないように。




後ろの煙突からもガンガン火が出るくらい温度を上げます



夜までかかりました



数日後本焼開始です




ガンガン焼きました。8枚は焼きました。






パンも焼きました。これが一番美味しかった。温泉無農薬コーヒーも最高!!




イモも焼きました。結局この遠赤外線焼き芋が最高かもも知れません




とにかく4人でどんどん食べました。途中チーズを入れ忘れ、再度焼いたりという失態もありました。畑から自前のホウレン草を取ってきて使いました。最期にチーズをたっぷり載せ最高なのが出来ました。





最期に私のピザ職人としての勇姿です。初めてのピザガマ作りにピザ焼、結構上手く行きました。ホントにこの遠赤ガマは便利で、美味しくて、楽しいです。次はパエリヤに挑戦します。



6月には北九州市でがれきも決まりそうです。もう疲れました。北九州市 震災がれきとキーワード入れるも、アクセス数は100にも満たず。寂しい限りです。関心のなさが分かります。ましてや北九州人のアクセスは一人いるかいないかでしょう。自然を汚し、自然の恵みを拒否すれば、自ずからその結果は知れています。食は人間にとってなによりも重要です。最期に苦情を一つだけ。バグフィルター99.99%放射性物質除去するといいますが、産廃の焼却温度は1800~2000度です。全ての放射性物質は1000度以下で蒸発しますので元素となり天高く舞い上がることでしょう。まるでバグフィルターはイワシは取れるがマグロはすり抜ける漁網と言っているような矛盾があります。これを説明するには「マグロは刺身になって網を抜けていった」と言うしかありません。小さな原子、元素が防げて空気のような分子が通り抜けるフィルターなどあり得ません。
 また、アメリカ西海岸にプルトニュウムやウランがふっているのに御用学者はプルトニュウムは重くて原発近辺には飛ぶかも知れないが遠くに飛ばないという。それも可笑しい。それを説明するならこういうべきである。「プルサーマルの欠陥原発マーク1のふる里はアメリカである。だから原発のプルトニュウムは日本には降らずアメリカに里帰りした」と。もう何もかもバカバカしくて付き合っておれません。

北九州市 震災がれきその⑧出来レースになってきたがれき受け入れ準備



初めてのピザ窯を作り、初めての焼き入れ



燃えろピザ窯怒りの炎、ピザ窯後方から出る炎









今農園は花盛り

北九州市の震災がれき受け入れも出来レースになってきた。これから精神分析が必要だ。副市長が石巻に行って北九州市の安全が確保できるのでしょうか。石巻に行けばその悲惨さを目のして且つ現地の人にお願いされれば、心情的に受け入れ姿勢になるのは当然である。副市長は北九州市市民のことを客観的に考えなさい。被災地が悲惨なのは分かり切っていること、そこに行けば同情心と正義感からの義憤で、がれき受け入れ判断に大きなバイアス(思考の片寄り)がかかり、北九州市民の安全に対する正しい判断が出来なくなります。自分達は正しいことをしていると言う暗示を自らかけようとしているが如きの状態です。

何度も言って恐縮ですが、空間線量計でがれきの放射能は測れません。放射線の飛距離はアルファ線は数㎝、β線は1ミリから10メーターまででそれぞれ異なり、ガンマー線はかなり飛ぶが距離の二乗で減衰。そういった状況なのにがれきに近づいたところで空間線量を測っても問題なくて当たり前、もし空間線量が放射線が高ければ即退去した方がよい。少なくともがれきにピッタリとカウンターを付けて測らなければ、カウンターが動くわけがありません。あたかもこれで十分安全とテレビを通して見せているのがまさに市民だましの出来レース。この重大なときに子供だましのパホーマンスしないで下さい。もっと放射線のこと勉強して!!市民の運命を担っているのだから!!

考えてみて下さい。がれきの上に何回も放射性物質を含んだ雪が降り雨が降り、水分は乾燥してもがれき表面にはびっしりと放射性物質が堆積して残る。しかしがれきの山の表面の放射性物質は雨風に洗われ少なくなりますが、放射性物質はがれきの山の内部に浸透し溜まっていきます。がれきの山の表面にはなくても奥にしっかりと溜まっていると考えるのが普通です。がれきの山は小さくてもがれきの表面積の総計はどれくらい有ると思いますか??(前回ブログ参照)

既に北九州市ではがれき焼却の前に1メートルの空間線量を測り出しました。これも出来レースの一つ。万全の準備はしていますといっても、これに出たらもうおしまいでしょう。プルトニュウムも測れるわけないし、これで出たらもう北九州市が福島と全く変わらなくなったということですから。。放射線が出る危険性を感じているのならそんなことはしないと言うことが一番安全でしょう。出てしまったときの口実の準備です。きちんと対策していましたからすぐ中止できました。と言っても市民は既に後の祭りです。1メ-トルの空間線量が上がるということは辺り一面に同位元素が雪の嵐のように舞っているということなのです。ただ見えないだけです。

右に転んでも左に転んでも逃げられるような準備に勤しみ、出来レースばかりしないで真に市民の安全を考えて欲しいものです。ホントに6月に決定ですか!良いのですかそれで本当に。。。福島の本当の悲惨さのピークはガンの始まる5年から20年後ですよ。それを確認せずして良いのでしょうか。。。


北九州市 震災がれきその⑦がれきの放射能は計れない


穴の横にインスペクターを直接置いて放射線を計る。ラジウムからのアルファ線とガンマー泉を測定している。アルファ線は空気中で数センチ、ガンマー線は距離の二乗に反比例します。ベーター線は各種によってそれぞれです。


しかし少しでもインスペクターを放すともうカウンターのの数値は下がる。アルファ線はもちろんガンマー線もとどかない。要するに空間線量計ではがれきの中にある放射線は計れないと言うことです。

みんなにがれき反対と言うと、福島以外のがれきは大丈夫とか、絆がないとか根拠のないことを言われる。しかし放射性のがれきは放射性廃棄物となり、法律で拡散は完全な違反となる。世界から見たらとんでもない暴挙である。絆理論で法律も医学もぶっ飛ばされるのが恐ろしい。まるで明治大正の帝国主義の精神論である。プルトニュウムやウランはアメリカ西海岸やハワイで多量に認められている。がれきにないと考えるのは如何なものでしょうか。プルトニュウムが出すのは中性子線とアルファ線です。空間線量計はかれないのです。しかも何千万トンと言うがれきの放射線を正しく計ることはできません。むしろがれきの奥に放射性物質がたまっているので、運搬には多量の放射性物質が飛散します。