ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)」カテゴリーアーカイブ

2022年1月8日

私の高橋信次研究(その②あの世からのルール違反指示)

久しぶりの投稿

前回のストーリー https://blog.goo.ne.jp/holisticdiarymk/d/20201019

子供の時は結構霊的な現象がありましたが、その後中学校までは特別な現象はありませんでした。これは一般的なことですが、子供の時と比べて大きくなれば教育や色々な友人関係などで、思考が現世的になり霊的なものは閉じられてしまうことが多いようです。しかしながら高校2年生の時「医師になれ!」という声が聞こえてきました。私はもとより子供の時から自給自足の生活がとても気に入っていました。ヤギの乳を搾り鶏の卵を集め、四季折々の果物や花が私のテンションを高めてくれていました。毎日がフラワーランド、フルーツランド、アニマルランド最高でした。

しかし、進学校に入ったため大学にいくのが常識みたいな感じでしたので、農学部に進学の予定ではありました。また本来勉強が嫌いでしたので、農学部なら勉強せずにいける予定でした。医学部は当時すでに桁違いの難しさだったので、断り後は無視していました。だいたい代々百姓で医療関係者は1人もいません。いても前回述べた看護婦で患者から移った結核で死んで、私の前に自爆霊となって出てきた叔母しかいませんので、医療関係は私には印象が良くありませんし、親戚にも医療関係者は1人もいません。私にとっては、未知の世界だったのです。

守護霊は都合の悪いことは後で言う

高校3年の3学期になって、流石に少しは勉強しておかないといけないだろうと思い、勉強を始めたころでしたがまた声が聞こえてきました。「今日は勉強をせずに一日中医者になるかどうかを考えろ」という指示でした。しつこいなと思いながらも、何故か素直にそうする事にしました。考えている間に意識が朦朧となり寝ぼけたような状態になり、全ての苦悩のが集中してきて思いが変わりました。「私が医師なったところで、これれらの不幸には対抗できない。しかし、医学的知識が有れば少しは、親父も47歳でスキルス胃がんで若死にしたし、将来役に立つかもしれない」と考え医師になることを承諾しました。決心した後「その代わり苦労はするよ」という言葉を最後にしばらくは語りかけてくることはありませんでした。実際ブログやFBでは楽しく色々やっている風に書いていますが、心は「その代わり苦労はするよ」という守護霊の予言どおり、実はいつも最高に苦しいのです。

注意しなければならないあの世の声

本来あの世のから、現世に生きている人の人生にかかわることは許されていません。これは完璧にルール違反なのです。このように「声が聞こえる」ということはだいたいが憑依した霊か悪魔しかいません。これらの強い悪霊は未来も読むことが出来るので、周りが洗脳され、強い悪魔に憑依された人が人が新興宗教の教祖になり、多くの信者を不幸にし共に地獄へと落ちていきます。

悪魔と天使の声の見分け方

悪魔の声は耳元で聞こえ、天使や守護例の声ば胸の中に響きます。それも100文字が1秒以内で理解できる感じです。写真言語のような心象言語です。恐らく次元の高い世界というのは字空間はありませんから、全ては一瞬で決まるのでしょう。相手は守護霊であれ悪魔であれ、現世の人間の主体性を奪う行為は禁止です。私の場合も自分で将来医師になる決心をするように誘導されているのが分かります。GLAの研修時、霊格の高い仲間にこの点を聞くと「それが生まれてくる前の自分と守護霊との天上界の約束だった」との事でした。

父親が若くしてガンで悲惨な死を迎えたのもしたのも私を医師にするための自己犠牲というのは思い上がりでしょうか・・・

 

2020年10月19日

私の高橋信次研究その①(新期FB友へ)

最近、高橋信次氏について学びたいという友達申請がありました。

高橋信次氏についてはあまりFBでは書きませんが敏感に反応する人も結構います。

またこのブログでも高橋信次氏の記事に関してはアクセスが毎日あるくらいです。

どういった年齢層がアクセスしているか分かりませんが、私よりずい分若いのではないかと思います。

私が高橋信次氏を知ったのは医学部4年生の23~24歳くらいだと思います。

だから高橋信次氏の弟子や彼に会った人も多くは亡くなっているのではないかと思います。

最近絶版であった「誰も書かなかった高橋信次」の本が再販されました。

「誰も書かない」!!そうどうしてあれだけの人物の本が無いのでしょうか。

それは高橋信次氏について語れる人がいないからです。それだけ超特殊な人なのです。

わたしも「私の高橋信次研究」と言う本を書きたかったのですが、

それは大変な作業になるでしょう。

後世仏陀、キリストに関しての本は山ほどありますが、イエス仏陀モーゼを超える彼に関する書物が無いのは不思議でなりません。

弟子がいても自分のことが中心で、純粋に高橋信次先生を単に語る人はいません。正法内容パクリ宗教家も多い上に、時には批判する人もいます!?

しかしながら、私も70歳を超え何時死ぬか分からない状態なので、少しずつは「私の高橋信次研究」を真っ正直に書いて行きたいと思います。

幼少時私は時々霊視や霊聴が少しありました。戦時中19歳で粟粒結核で看護師をしていた叔母の成仏できていない自縛霊の姿や、62歳で死んだ祖母の幽体離脱を見たりしていました。祖父母は敬虔なクリスチャンだったので、死後すぐに幽体離脱できたようです。

3歳ぐらいの時に祖母が死んで死体が安置された部屋の前の部屋にいると「三治(みつはる)さん」と呼ぶ声がしました。そっとふすまを開けてみると祖母の死体の1メートル上に白い霊体の様なものが浮かんでいました。

生前祖母は私を可愛がっていたとのことで別れの言葉ではあったかと思います。しかし実は不思議なことに、もう一人の自分がそのふすまを開けている自分を見ていました。異次元の世界というのはそういうもののようです。そして3歳の子供の記憶にしては鮮明なものでした。おそらくあの世は時空の制限が無い世界でしょう。

つづく

 

2019年12月13日 2019年11月20日

釈迦が悟れた理由(仏法を正面から学んでは理解できない)

あの世まで続く因果律

悪いことをしたら地獄に行き、良いことをしたら天国に行く。それは真実なのですが、悪いことをしている人の方が多い。それは死ねば無になると現代社会では考えられているからです。悪いことをしようが良いことをしようが死ねば、何も無くなるのだから同じじゃないかと言う理屈が成り立ちます。残念ながらあの世はあるので、死んだら大変なことになる人が殆どです。この世は因果律ですから、人に良いことをすれば自分も良いことがしてもらえるし、人を殴ればただではすみません。このように悪いことをして死んでただではすみません。そこだけ因果律を逃れることは出来ません。ただ自分は悪いことをしていないと思い込んでいる人が殆どです。

もう一つの肉体への気づき

しかしながら、宗教を学んで、天国に行きたいために、良いことをしたり慎ましい生き方をしても天国に行くとは限りません。現世に生きる自分が実はもう一つの大きな自分に繋がっていることを知らなければ、現世に執着し地獄に落ちることになります。生きながらに悟る生き仏こそこの世を生きる目的です。

新・八正道

仏教は良いことを語っていますが、頭だけで理解しても心で理解しなければ何年経っても悟れないかもしれません。一番の早道はブッタの生涯を見て彼がどういう風に悟って行ったかを知る方が理解しやすいと思います。ブッタの教えの中心は八正道と中道ですが、少しふざけて「新八正道」と言う形で悟り易い技術を考えてみました。

この内容の一つ一つの解釈に関しては次回に続きます。

2019年11月18日

悟って天国に行く方法

最近はFBにかまけてブログを書いていませんが、それでも毎日100件以上のアクセスをして頂く皆様に注力を注ぐべきかと思います。とくにFBに良い事書いた時ほど、イイネが少ないので、食べた飲んだ行ったに興味ある人より、真実なる事を求めている人に提示すべきかと最近考えています。一部ブログより転載します。

 

自律訓練療法:不安と恐怖の時代、メンタルな疾患は増えるばかり、患者さんが増えれば、診療時間が短くなるため薬が増えるばかりです。多少は薬が効き安定しますが、それでもブルブルと震える手を出して「先生、両手の激しい震えが止まりません」と自らの苦痛を厳しさを訴える患者は少なくありません。しかし若い患者さんは神経伝達物質が活発なので、精神を操作する薬はこれ以上使いたくありません。すでに体質改善の漢方も使用済みなので、後はマインドフルネスしかありません。「自律訓練の方法の紙は読みましたか?」「いいえ良く分かりません」「やって上げたいけれど時間がね~」「やってください!」「じゃちょっとだけよ~」という感じだったでしょうか。4~5分後、「手を出してください。震えてますか?」「震えていません!!」「病気はあなたが作ったものですからあなた自身で治せます。自分に自信を持ってください」診療はは12~3分になりましたが、自分もビックリしました。九大心療内科では患者と研修医は全員自律訓練をします。私も9年間やり効果のほどは十分知っていますが、以前、玄米菜食料理教室でマインドフルネスの講義のときも、5分間自律訓練をデモしましたが、長年の不眠症がそれ以来治った人がいたのには驚きました。

話は飛びますが、天国に行く方法の7番「魔と戦う魂の力をつける」ということは、自分は魔に勝つ力をもっており、天国から下りてきたのだから天国に行くこともできるということを、心の底から信じることなのです。自分が何をしようがどうなろうが、所詮この世もあの世も魔(己心の魔)との永遠の戦いなのです。

寝てするのが集中できる。

忙しければ座位でも効果が出る

瞑想修行はしなければ最後は悟れませんが、密教で言う魔境と言う恐ろしい境地があり安全な瞑想法が必要です。自律訓練は3段階までは安全に出来る方法です。リラックス法はあらゆる精神療法を集めても1対1の力があります。しかし時間と手間がかかるので、忙しい臨床の場でされる事はほとんどありません。

 

2019年4月29日

自然霊

人間としてはこの地上界に転生として生まれたことが無い霊のことを自然霊といいます。

今その中でも龍神ブームが来ているように、龍神の動きが活発なようです。龍神は天候を支配する自然霊ですが、

水神様といわれるような高級な自然霊である八大竜王などの龍神は強い力があります。しかしながら環境汚染が進み龍神の機能が落ちると更なる天候異常が起こってくるものと考えられます。

 

大昔に守護神社水神様あったわが統合医療村では、私が池を埋めたためか、なかなか龍神が見つかりません。自然霊は山の中にいます。

赤いしるしが熊井温泉源泉地

太陽の方向は後ろの西の方にあります。

こちらは東から南向きにある大木です。すごい自然霊で癒しの力があります。時間があれば一時間ほど抱きついていたい。

山中の自然農園の左上にヒーリングツリィ―があります。まあ遊歩道全体がヒーリングロードとなっています。

 

 

これには龍神が出ていますが、知人の庭です。風水を考えて庭が造られているようです。環境汚染が進み自然霊がいなくなれば、自然のコントロールが難しくなります。

 

 

 

 

 

2017年9月24日

高橋信次と統合医療(最終章2続き)

人工ラドン温泉

昨日に続きます。

 巣鴨にいた電気治療の療術のT先生が、伊豆で人工ラドン温泉(当時はそういう風には言ってはいませんが)で泊り込みで、病気の人を見ていると聞いて、家内と二人で行ってみました。1981年の事です。ラーキー博士のホルミシス効果発表のまだ一年前です。巣鴨では結構多くの職員を抱え、治療所も繁盛していましたが、離婚した後治療所は奥さんに譲り、ちっちゃな民家のようなところで数人の病人を見ていました。私も一泊しその微量放射線を利用した人工ラドン温泉に家内とともに入りました。

 すごい湯煙が天井から出てきてやや怖い感じで、放射能は大丈夫かなと思いながら入りました。風呂を出てからは爽快感が有りましたが元々からだが特に悪いわけではなかったので良く分かりませんでしたが、家内が入浴前に出来ていた私の顔のニキビが消えてしまっていると驚いていました。

 

東北の医療村

 他に職員がいるわけでもなく、T先生自ら食事も作っていました。東京の時の治療所と比べとても質素な感じでした。1978年頃九州で研修をしている頃にT先生から手紙が来て、東北で自然を利用した医療村を計画しているのでぜひ参加して下さいとのことでした。以前T先生は私に「私たちは医者ではないので患者を診察する事も診断することも治療する事も出来ない」といつもぼやいていました。療術の力で病気を治す力が有るのに、医師法で医師免許のあるものしか認められていないので、それは医師でしか許されない。だから私の力を借りたいということでした。

 しかしながら当時私は西洋医学の修得に大変な状況でしたのでお断りしましたが、ガンを自然の力で治すという事は大変興味が有りました。当時は医師免許がある事を当然のことと思い何も意識しませんでしたが、真摯にまた情熱的に病気の人を治したい思いや、また治す力が有っても医師免許がなくてはそれは出来ない療術師の人が沢山いることを改めて知りました。

 効果的な治療法ですが微量放射線による治療で使っている放射性物質の種類や放射線量も分からないし、また管理がおそらくとても法的に大変であろうと思い、がん治療に私が人工のラドン温泉を使うことは出来ないだろうと当時思いました。

健康温泉アパート「カーサテルマエ」全景

 時間が有りませんので、それから40年飛びます。結果的の私が九州ではありますがその原型をほぼ作りました。1978年ごろに私が不可能と思っていたラドン療法が可能になりました。こともあろうに福岡県で一番、全国でもおそらく10番目くらいには入ると思われるラドン濃度が78.9マッヘという高濃度の天然ラドン温泉を、2017年にクリニックの横で発見しました。東京での経験が無ければラドン温泉(熊井温泉)は永遠に見つからなかったと思います。高橋信次先生やT先生のご縁というものでしょう。まだ中身が充実していませんのでこれからのところも多いですが、何んとかこれからも頑張ろうと思っています。

 カーサテルマエの玄米菜食料理教室に来た女性で、カラーセラピーをしている女性から、信次先生の弟子の三木野吉さんが書いたノアの箱舟という本をお借りしました。GLAや信次先生のことがよく書かれているので面白く読みました。第1部には私の記憶に強くある部分があり、転載させていただきましたので参考までに載せました。

 著書「ノアの箱舟第一部」に懐かしいところが有りました。以前東京の病院で研修をしながら、時にこのH先生のところで修行をしていました。あるとき国立大学のしっかりした仲間が修行中に踊りだし完全に発狂してしまいました。H先生は大変困って私に何とかして下さい」と頼んできたので、結局私が病院につれていかざるを得なくなったことが有りました。後日H先生のところに行くとH先生は大変喜んで「あの事件でみんな恐れて、修行に来ていた人は誰もいなくなりました。熊井先生も来なくなったので家内にクラリオに降りてもらいどうしたらよいか相談しました。そうしたらクラリオが彼はイエスの時代に直接イエスの教えを受けているので正法(信次先生の説く法)を離れることは有りません」と言ったとのことでした。H先生は少し頼り有りませんでしたが、彼の奥さんはすごい霊能力が有りました。この小金井の道場はホントに悪魔と天使の戦いが激しかったのです。

 信次先生は針灸などの東洋医学が好きでしたが、中華料理が好きでメタボがたたり、昔からの予言どおり48歳でなくなりました。なくなる半年前の熊本の講演ではもっぱら健康についてでした。しかしながら残念な事に次ページの「医師が教えた間違いだらけの油選び」の結果?で半年後になくなりました。魚は食べないといけません。バターよりマーガリンを選べば命取りです。

 まあ、信次先生も医師ではありませんし、当時の医学も食に関してはいい加減でしたので、しかないところが有りますが、これからこそが真の統合医療が注目されてくると思います。最近補完・代替療法がバッシング受けていますが、確かに単なる健康食品では危険な場合が有ります。西洋医学と東洋医学と精神医学と自然医学を統合したもので無ければなりません。

 最近、比較的若い人で高橋信次先生を知る人が来ることが有ります。喜ばしいかぎりですが皆さん誰もが信次先生に会ったことがありません。当時信次先生を知る人ももうほとんどなくなりました。出来ればこういう人達に信次先生の最後の語り部として、話せたら良いなと思います。

2017年9月22日

高橋信次と統合医療(最終章2)

いざ東京へ

さて、無事医師国家試験にも合格してとりあえずは大学の内分泌内科に入局しました。しかしながら卒業試験のときに、インスピレーションに従い東京に行くべき時を考えていました。東京に出た偉大な人が高橋信次であることは既に分かっていました。しかし当時は厳しい医局のノルマが有りました。このままではずっと東京には行けないと思い、入局して半年後に教授に退局覚悟で教授に「東京に行きたいので行かせてください」と言ってしまいました。さんざん叱られましたが、「出来ないなら退局して行きます」という私に根尽きて「それなら他の先生の手前も有るので、川崎の百合丘というところに病院が友人がいるので、そこの病院に大学からの出向ということで行きなさい」との許可を得たのです。

 

救急病院と森田療法と療術

7月か8月頃病院の官舎に住み、そこを拠点にして動きました。しかし、信次先生も忙しくなかなかあえませんでした。病院も救急があり、私も忙しく日々が過ぎてゆきました。そこで今度は病院長にまた我がままを言い研究日と称して、高円寺の古閑義之先生の自宅で森田療法を学ぶ日を貰いました。古閑義之先生は森田療法の第一人者で、慈恵医大の後聖マリアンナ大学の学長をしていました。森田療法は知らない人も多いと思いますが、当時世界的にも知られた日本発の有名な精神療法の一つです。夜の9時に外来もしくは入院、私はそれを手伝っていました。しかしながら東京の偉大な人には会えずとりあえずは、信次先生の弟子にはあえました。小金井の波場先生や巣鴨の電気治療の療術師、阿佐ヶ谷の太極拳の先生のところに通いました。東京では信次先生にはなかなか得ませんでしたが、その代わり色々なことを東京で勉強することが出来ました。

 

人工ラドン温泉

その中で療術師が多くいました。信次先生は西洋医学よりも療術に興味が有ったようです。巣鴨の療術の先生とは長い付き合いでしたが、「ガンには微量放射線が効くんだよ」とよく言っていました。1976年の事ですから。今から考えればこれは本当にすごい言葉でした。というのは微量放射線にはガンなどの色々な病気に良いホルミシルス効果が有ると世界で初めて1982年に発表したのが、アメリカのラッキー博士ですが、私は療術師より既に5年早く聞いて知っていたのです。その後私は彼が伊豆で人工ラドン温泉の治療的なことをしているという事で

 

2017年9月18日

高橋信次と統合医療(最終章1)

右が「心経の言霊」といって信次先生が書いた「心経」の解説書で462ページあります。

左が「反省のかなめ」と言って反省の方法を解説したもので250ページほどあります。

多分聖書より具体的で分かりやすいと思います。現代のGood Newsと言っても過言ではありません。

いつも持ち歩いている心経が書いてある証本ですがもうボロボロぼろです。暗記しているので持ち歩く必要もないのですが、魔よけです。事故に会いません。暗記しているのは死んだ時にも潜在意識に残り、魔戦う力にるからです。

こんなもの持っている人もいないと思いますが、今もっているのがもう古くなったので、たまたまこれが出てきましたので、これからはこれを持ち歩く事にします。

久しぶりのブログアップですが、新院長になり忙しく診療から帰ったら中国ドラマを見て、ギターを弾きながら歌を歌い癒して終わる毎日です。今日は台風が上陸したので、久しぶりにアップできそうです。2ヶ月もアップしないのに毎日アクセスが100以上ありPVが200以上有ります。特に最近高橋信次の所にアクセスしている人が多いようで、何か復活の兆しも感じます。

 自給自足農園:以前何処まで書いたか忘れましたが、今日は最終回(2回)にします。私は当時自給自足の農園に生まれました。中学生までは給食費以外はお金を使ったことがほとんど有りません。肉は大体鶏肉か豚肉、ヤギ肉、たまにイノシシやウサギの肉です。魚は玄界灘が近いので海魚も食べていましたが、個人的には大体コイかフナの寒露煮かなまずの蒲焼、ドジョウや川海老もたまに食べていました。病気の叔父が農園で花で生活していましたので、季節には四季折々の花が咲き、野草も咲いていました。果物もほとんど種類が有り、全ての果物が旬でもぎたて新鮮の美味しいのを食べていました。子供のときは農業の厳しい作業も免除され、ただ全の収穫のものを取って食べる。またそれがゲームの用に面白く退屈することは有りませんでした。

百姓の次男が医者になった理由(分け):そんな分けで高校生になっても自分は農学部しか行くところは無いと思い九大の農学部に行く事にしていました。ところが高校二年生のときのある日、「医者になりなさい!」という声が聞こえてきました。これは守護霊のことですが、誤解を招くといけないのでこれからはインスピレーションと表現します。「おかしなことが有るものだと思いましたが、その後書店に行き「職業適性の本」を見てみました。そこには医者になる3つの条件がかかれていました。1.博愛の精神を持っていること 2.健康と屈強な体力 3.勉強が好きなこと の3条件が書いてありました。私は即座に3つとも無し、ムリということで医者になることは見送りました。ところが、3年生の時の願書提出前にまたインスピレーションが下りてきました。今度は「今夜は医者になるかどうかを勉強は一切せずに考えろ!」とのことでした。今度は完全に精神がのっとられましたので、一晩中考えました。結局父親の医療の甲斐なく無残な在宅ガン死と、その後の母子家庭とガン遺児の不幸体験から、「確かに人生は厳しい、蝶や花よの生活だけではすまない。医者になったところで、この厳しいガン病や不幸の役には絶たないかもしれないが、いくばくかの抵抗にはなるかもしれない」そう思い一年留浪人する事にしました。

久々のインスピレーション:東京医科歯科大学に行くつもりが、学園紛争で東大の医学部入試が中止となり、その受験生600人が医科歯科大学を受けることになり、太刀打ちできず結局第2次希望の鳥取大学にしました。ガン遺児の母子家庭にとっては、勉学に6年も罹る事態が困難でした。片親を亡くした子供は誰もが「もう一人の親も死ぬかもしれない」という恐怖症にそれとなくなるものです。百姓なら怖くは有りませんが、今はお金のかかる医師への道で、さらに親死に経済的に絶たれれば、中途退学止むなしなのです。一刻も早く卒業し、二浪や留年は原則出来ません。6年後何んとか卒業試験にこぎつけたものの、既に20%は脱落しており、卒業試験でまた2割さらに国家試験で2割落ちますので、12月山陰の氷点下の中コタツの中で必死で勉強していました。3日猛勉強して最後の日はほぼ徹夜、試験が終わった日は一日だけ普通の日を送り、さらに3日という事が10何科目2~3ヶ月続くのです。若くないと出来ません。そんな時に久しぶりに例のインスピレーションが聞こえてきました。「お前はそんな事をしている場合ではない!今東京に偉大な人が出てきている。お前はすぐに会いに行け!」という場違いな声が聞こえてきました。「そんな事をしている場合ではない!?」とんでもない事を言って来たなと思いそのときは一蹴しました。あの世とこの世の時間間隔は大分ずれが有るようです。しかし、その後それが高橋信次の事である事が分かり、彼の死の3ヶ月前に2日間にわたる個人指導で、百姓希望の私を無理やり医師にしたインスピレーションと高橋信次に会えというインスピレーションが同じである次元のものであることが分かりました。

次回は高橋信次と会ったことが、何故私が統合医療を目指さざるを得なかったかについて、最終章その2とします。

 

2017年5月21日

タイトロープ(カオスの今を生きる)

毎日来る患者さんを見てつくづく思う。

人生は混沌としている。

社会はストレスで一杯だ。

パワハラリストラで苦しむ人。

失業と経済破綻の恐怖。

離婚と訴訟。

暴力と憎しみ。

ガンの再発を知りうなだれる人。

うつ病が治らず苦しむ人。

ガンの夫と認知症の妻との老々介護

親の介護と自分の仕事と子供や夫の世話で自分が無い人

死の恐怖でパニック発作を繰り返す人。

そんな中でも人は生きて行かなければならない。

 

一般の人が言うマインドフルネスって余裕のある人の言葉。

社会から逃げてストレスから逃げれば平和かもしれない。

でも現代人はそうは行かない。

 

マインドフルネス、静的意識集中それもまあまあ悪くは無い。

しかし動的意識集中というのもある。

それは太極拳や山登りや、動きながらの意識集中の事だ。

マインドフルネス、動的意識集中それはまあまあ良い。

インドアの意識集中も良いし、アウトドアの意識集中も良い。

しかし一番良いのは現実的意識集中だ。

それは現実社会の中で行う意識集中のことだ。

 

患者だけでなく働く多くの人の不安恐怖の99%は実現しない。

みんなバーチャル(仮想現実)な悩みで苦しんでいる。

あきらかにマインドの喪失状態だ。

これをマインドレスネスという。

自分が無くなっている。

心療内科ではそれが病気に絡めば失感情症とか失体感症という。

 

自分を取り戻すためにはあらゆるストレスから逃れるか対抗するしかない。

現実で自分を正気にたもって生きるのはまるで綱渡りのタイトロープの上を歩くようなものだ。

だからこの厳しい現実を生きて行くためには厳しい意識集中が必要だ。

これを現実的的意識集中といったが、これこそが今現代人が生きる真のマインドフルネスの道だ。

 

どういうことかというとストレスの多い中でこそ、今を生きる事に集中する訓練をするという事だ。

いろんな悩みがあるけれどもそれに囚われず今の瞬間を直実に生きるという事だ。

ガンで死ぬかもしれない、失業するかもしれない、受験に失敗するかもしれないの不安の中で、今を生きるという事だ。

 歩くときは歩き、トイレするときはトイレに、食べるときは食べる事に、全ていましていることに集中する事だ。

生まれてまだ一週間のヤギの子、もう親から離れて自然の光の中で生を謳歌している。時に瞑想状態?時には回転しながら飛び跳ね「生きているだけで幸せ」とう感じが伝わってい来る。

現実的意識集中は忙しい日常生活の中でマインドフルネスになる方法だが、簡単には説明できない。

まずは自律訓練療法や呼吸法(腹式呼吸)から入ると効率が良いかも知れない。

しかし一番言いたい事は「厳しく困難な事態でもマインドフルネスに誰もが特別な訓練無く成れる」ということだ。

その最後の決め手は「生きている事に感謝」が出来るか出来ないかにかかっている。

日々感謝の心になれれば本当はマインドフルネスになるのは実に簡単な事なのだ。

マインドレスネス、あらゆる不幸はその無明に起因する。

今この瞬間を生きることが大切だ。