ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)」カテゴリーアーカイブ

2017年3月13日

高橋信次と統合医療(特別編その①仏顔もどき)

今から30年位前に家を建ててから、高橋信次氏の写真を座敷に飾っていました。家内がつい最近まで私の父親と思っていました。若いときはそれ程似ていたようですが、自分ではそんな感じはしていませんでした。

最近、アクセス解析で高橋信次のページが多くアクセスされるようになりました。今までユーチューブでは高橋信次の講演会の様子がアップされており、高橋信次復活の一抹の希望を持っていましたが、いつの間にか画像も消去され一つも見ることが出来なくなりました。信次先生は「宗教で飯を食っては本当の宗教が説けない」という主義で、当時7~8千円くらいとってもおかしくないような講演会で、ご本人の講演では無料というのが常でした。実際ほとんど彼の会社の収益で宗教活動がされていたという事は画期的なことでした。信次先生が泣いているぞ!!

今から5~6年前の私の写真ですが、あまり似ている雰囲気はないと思うのですが、如何でしょうか。

仏がんもどき:以前、船井幸雄に良く似ていると言われた事がありますが、そこまでは禿げていないし太ってもいないのであまり良い気持ちではありませんが、帯津三敬病院の帯津先生にも良く似ているといわれます。彼は統合医療では有名ですし、私もそちらの思考ですので悪い気はしませんが、確かに眉毛のつり上がったところは似ているようです。くしくも仏のような有名な人たちと顔が似ているということはありがたいことです。

 私の高橋信次研究:高橋信次氏のユーチューブが抹消されてから、興味を持っている人が他を検索するようになってアクセスが多くなったのではないかと思います。ということは、高橋信次氏について私なりに情報を流すべきではないかと思います。まだというか今まで一度も信次先生に会ったことがない人のために、今回の特別編で信次先生の周辺を語って行きたいと思います。

 信次先生と東洋医学:百合丘の救急病院で働いている時、なぜかGLAの療術師たちと親交が深まりました。もう名前を忘れてしまいましたが、阿佐ヶ谷のS先生は気功療法で患者さんを治していました。私も仕事で疲れストレスも多かったので、時々治療を受けていました。信次先生も治療を受けていたようでよく信次先生の話をしていました。信次先生はどちらかというと西洋医学よりも中国医学や東洋医学に興味があったのではないかと思います。

 ある日、彼に連れられて彼が指導している太極拳の教室に行ったことがありますが。何十人の生徒が一斉に24式を始めましたが、皆さん上級で一糸乱れぬ動きですごい気のパワーを感じました。ガン患者の気功療法に興味を持っていたので、太極拳にも興味を抱き、いつか自分も必ず覚えようと決意しました。

 太極拳で生き延びる:S先生は第二次世界大戦の終戦まじかで、中国軍の捕虜となり劣悪な環境の牢獄に入れられていたそうです。仲間は栄養失調といつ処刑になるか分からないストレスで、次々に死んでいったそうです。しかし彼は獄中で現地人から習い覚えた太極拳をいつもしていたそうです。結局彼は病気にもならず解放され無事日本に帰れたとのことでした。

 運動はガンに良い:健康のため適度に身体を動かすことは大切なことは誰でも分かりますが、「気」を廻らすことはもっと大切のですが、案外誰もそのことを認識していません。経験的に進行ガンの患者さんでも運動をすることが、血液循環のために大切と実感しています。ですからガンの患者さんが気功や太極拳で気をめぐらすことがさらに重要なのです。出来れば運動とともに自然の中でヨガとか気功とか太極拳でマイナスイオンの多い環境で行うことがベストです。

まだ全部完成されていませんが、今から15年位前に立てていた統合医療村の計画です。一万数千坪の畑と山林の中で、運動のための遊歩道は絶対条件でした。

  時間がないので話が飛びますが、健康でいること病気が治ること、それの絶対的なコツは電子を奪われないこと電子を戴くことなのです。良い空気と水と食が大切です。

ちなみに、スキルス胃がんで死ぬ1年前の父の写真です。私には似ていません。

2017年1月26日

愛と憎しみー縁ある人ー


お母さん「小春」の後にいるのは生まれて一週間になる「雪」です。小雪の舞い散る夜に生まれので名づけました/font>


お父さんの「勇気」は男前

怒りの螺旋企業では去年の労働安全衛生法の改正により義務化されたストレスチェック後の面談が多くなりました。産業医が内科や外科が多いので、その企業とは何の関係もない私が面談に行かされています。やく80%くらいは対人関係問題で、そのまた多くもアンガーコントロールの失敗です。みんな「怒り」で苦しんでいます。怒りの感情は人に持続的な交感神経の緊張を強いて、その結果疲労感が強くなります。長時間労働となればなおさら大変です。うつ病にもなりかねません。しかし袖振り合うも多少の縁という言葉があるように、自分のことばかり考えずにお互いの立場を理解し会うことも必要です。そうしなければ怒りと緊張は螺旋のように続きます。


カルマの法則ほとんどの人がこの人生はこの世限りと思っているので、今世はどうしても自我が強くなってしまいます。自分がしてもらっている事を忘れて、仲間に不満を持ちそれが怒りとなります。怒りは増幅するのでとんでもない対立になってしまいます。しかしそれは過去世でも有ったことで、今世でも繰り返されていると言う事です。だから今世でそれを乗り越えることが出来なかったら、また同じ悪縁が?来世で起こるということです。この世に生まれてくる目的は世のため人のために役立つ事、魂の修行すなわちカルマの修正のためです。怒りを克服するコツは結局相手からしてもらっている事を気づく力、感謝する心です。それにはやはり魂が永遠で転生輪廻している事を知り、最終的にはその輪廻から解脱することが価値あることいつも意識しておくことです。

近親憎悪一番怒りと憎しみが強くなるのは近親者間です。相続争いの結果がそれですが、戦国時代でも親子で兄弟で殺しあうという事があります。肉親は過去世からの縁がとても強いので、その期待が外れた時には強い憎しみが生まれます。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、近親者は話さなくても自分の気持ちが相手に分かっていると思います。お互いそうなので大きなフックの掛け違いが起こり、とんでもない関係になってしまうことがあるのです。親子兄弟と言えども、常々しっかりしたコミュニケーションが必要なのです。強い怒りはとても心の緊張が強いられます。許しと和解は、怒りから来る興奮よりはるかに快い平和をもたらします。
2017年1月9日

流れ







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時の流れと水の流れに勝てるものはいない
どんなに苦しい時があっても時がたてば状況が一変する事もある
どん底であがいたって苦しくなるばかりだ
だからどん底の時こそ肩の力を抜き時がたつのを待てばいい
むしろ有頂天の時こそ気をつけるべきだ

憎しみや悲しみも時が解決する
それを反芻したりしたりするのは自然の法則に逆らうことだ
どんな興奮や感情も時がたてば小さくなるのが感情の法則だ
それがなければ身が持たない

悟りたければ水のように生きればよい
それは常に流れて少しも止まることがない
たとえ湖の水が静止しているように見えても中では動いている
汚水となった水でさえやがては蒸発して雲となる
そして雨となり清流の水となる
水は寛容だ
水は全てを清める力がある

海には波がある
サーファーが大きな波が来るのをじっと待っている
そのときが来たときサーファーはボードに立ち風を切る
サーファーは時の流れと水の流れつかんでいる
流れをつかんだものは過去も未来もない

人が止まり過去を悔やみ未来を心配するのは人生がこの世かぎりと思っているからだ
人の魂は永遠の流れにありなくなることはない
死を恐れるのは周りの景色が現実と思う錯覚だ
動け流れろ
それが悟りの第一歩だ
2015年9月12日

高橋信次(その③メシアの主治医)祝!!10万アクセスPV22万


信次先生入門上級編、左が宇宙と魂の仕組み、右が悟りの方法(心のあり方)が書かれた本です。なくしたらもう手に入らないと思います


ブルーベリーの甘酸っぱい味は、寂しい秋の始まりを感じさせます








今年はブルーベリーが豊作でした。ブルベリージャムを作って、蜂の巣ケーキ(子供がアトピーだった頃、ケーキが食べられないので、そのために作っていたケーキ)にこれをつけると最高に美味しい

東京から鳥取へ信次先生に3月に研修会があるから参加しませんかと誘われましたが、大学の医局人事で出向病院に行かなくてはならなかったので参加することができませんでした。そこは恐怖の病院で1ヶ月の間に受け持ち患者が二桁死亡するという病院でした。医師になって2年目に入ったばかりの私には、心理的には宗教の研修会どころではありませんでした。

死亡患者ゼロ外来患者は昼の3時まで、病棟勤務は10時までの厳しい職場、お金が無くて腎透析ができない患者に腹膜透析で夜12時過ぎまでお腹に水を出し入れ、夜中に交通事故の縫合を3時間というときもありました。夜間救急では医師も救急隊員も区別なく診察し入院のときは、自ら患者を担架に乗せて運ぶ、細い山道や田んぼ道を下るときは腕がしびれて患者を落とすのではないかというくらいのきつさでした。そんな状況でしたが何んと死亡ゼロで任務が過ぎました。

 前任の友人が出張を怖がる私を見て「お前はいい。がり勉で勉強しているから。俺は勉強しなかったので大変だった」と慰めてくれましたが、確かに良く勉強していたのは良かったと思いました。高橋信次のパワーアップもあったかもしれませんが、宗教活動よりやはり今はしっかりとした医学研修をするべきと思いました。人の命が懸かっているので、実際それどころではありませんでした。


メシア高橋信次死すしかしながら、病院から解放されて安心するや、また東京へ行くことを考え東京のGLAの友人に電話しました。「え!お前知らないの!!信次先生なくなったよ!」一瞬時が止まりましたが、信次先生は自分自身のずっと前からの予言どおりに、やはり48歳で亡くなったのです。私が会った死亡する2ヶ月ほど前のときは、私に八起きビル2階のテナント病院の医師になりなさいと言われていたので、まさか死亡するとは思っていませんでした。顔色が良く肌ツヤがとても綺麗に見えたのは、今から考えるに彼の肉体ではなく光子体を見ていたのかもしれません。

万歳三唱私は電話が終わった後、官舎の外にでて夜空を見つめ山に向かって、「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」と大きな声で万歳三唱しました。私は彼の死を悼むというよりは、彼が亡くなる前のしかも入院していたときのたまたま外泊時に2日にかけて個人指導を受ける幸運に恵まれたのです。早く信次先生に会いなさいという霊友の言葉を聴きながらも長く彼に会うのを遠慮していた私にとっては、本当にぎりぎりセーフという感じだっのです。自分自身にとってはまさに万歳物の出来事だったのです。

 ガンで早く死んだ父もそうでしたが、祖父母が敬虔なクリスチャンで家には聖書関係の書類が多くありました。私も聖書は一通り読みましたが、イエスの奇跡を私自身の目で確かめないと聖書に書かれてあることは信じられないというのが実感でした。しかし信次先生の文証、理証、現証と彼自身との奇跡の遭遇から全身全霊を持って、見えない世界がありそれが本当の世界であることを確信したのです。私の人生は大きく変容し、ある面そこで終わったのです。


下のユーチューブの講演は多分なくなられる前の熊本の講演ではないかと思いますが、これを聞くと信次先生の医学に深い思いが生じたことが分かります。



メシアの主治医信次先生がなくなって東京に行ったときに、私の話を聞いた信次先生を診ていた療術師が、一緒に信次先生の自宅に行こうと言い出しました。私達は霊前に供えようと浅草のりを買い自宅を訪れました。奥様が対応されましたが、そこには信次先生の面影もなく、さすが信次先生がなくなったようには感じられないさばさばした感じでした。

 療術師が「旅に出ようと思います」と言うと「出られたらよいと思います」という返事でした。私の「信次先生は自分の関係した病院を紹介する言われていましたが、その病院をご存じないですか」と聞くと「私には知りません」という返事でした。二人とも信次先生にお参りすることもなくおいとまし帰りました。お互い話しませんでしたが、思いは同じでした。心の中で「奇跡の時と人は終わったんだ」と思いながら、トボトボと帰って行きました。

 信次先生が生きていれば、やがては八起ビル2階で開業し、メシアの主治医になったかも知れません。信次先生は療術が好きであまり西洋医学的治療はされてなかったのではないかと思いました。私が主治医なら本日、国と県と市から100歳表彰された母のように長生きさせることができたかもしれません。もしそうだったら、それが光か暗黒か分かりませんが、私はとんでもない医者になったかもしれません。






2015年7月23日

高橋信次(その②奇跡は愛の力から)祝!!10万アクセスPV22万

背中に火傷終了後しばらくは信次先生と話ましたが、君は近年ドイツとオランダで医師として転生しているので、自信を持って医療にに従事するようにと、もっぱら私に自身を付けさせるような事を言ってくれました。48歳で自分は死ぬと昔から公言していたが、彼は今48歳。しかし彼の顔の肌は光り輝いて綺麗で、とても死をまじかにした皮膚ではありませんでした。私はそのときすでに川崎の百合丘の救急病院で診療していた経験から、一番に患者の顔色すなわちその顔の皮膚を見ればその患者さんがいつ死にそうか分かるようになっていました。その皮膚を一番に見て病状を判断する癖が付いていたのです。その後事務局の友人と喫茶店に行きその感動をお互いしばし話した後、私は夕方巣鴨のカイロで電気治療を予約していたので、山手線です巣鴨に向かいました。
 そこの治療所では結構効果があったので、私は電気治療の脊髄通電を時々受けていたのですが、いつもの電圧なのに背中が熱く痛く担当者に電流が強いようなので、電圧を落とすように頼みました。それでも熱いので、「もっと電流落として!」と怒ったように言うと相手も「いや!これで最低です。これ以上下げられません。」とぶっきらぼうに答えました。その後ホテルに帰って、風呂上りに何かまた背中がヒリヒリするので鏡で見てみると、私の背中全体が真っ赤になっていました。信次先生のパワーですでに治り、身体は赤ちゃんのように健康だったのです。


身体の病と憑依(魂身一体)心療内科では心身一如(しんしんいちじょ)と言う言葉があります。それは心と身体は二つで一つ分けがたいと言うことです。あるいは西洋医学的には心身相関と言います。心と身体は相互関係の下に流動的であるということです。心療内科での治療では、自分の症状が肉体の病気ではなく、心が原因で起こっていることがあると言うことに気が付けば、半分は治療できたようなものです。しかしそれは誰でも分かるのですが、自分のこととなると結構難しいことなのです。しかしそれができると病気の真の原因の精神療法が功を奏して病気が治ってくるのです。薬も検査も良いのですが、心の治療ができない限り根本的には病気は治らないと言うことです。もちろん心療内科や精神科ではそこまで立ち入りませんが、肉体に弱点が生じるとそこに憑依が起こりやすくなります。目に見える肉体以外に、ヨガで言うところのエーテル体やアストラル体といった量子力学的な肉体があってそこを通して憑依されます。もちろん精神のバランスがよくこれらの第二次三次肉体が健全であれば、肉体の局所が病んでいても憑依ができなくなりますが、逆に精神いや魂と言ったほうが良いかもしれませんが、魂に不調和があれば局所の憑依が起こりやすくなり、肉体的症状はますます悪くなってきます。逆に環境汚染などにより肉体全体が悪くなっても魂が病むということが起こってきます。ですから本当は「魂身一体]というのが真実なのです。



自宅のイチジク。




自宅のびわも豊作です。


庭に植えたクコも勢いが良い


ニュウドウ草も花も咲き取り時です。






農園の梅も収穫時期です。


桑の実も沢山なっています。クワの葉はαグルコシダーゼを阻害し糖の吸収を防ぎ糖尿病のクスリとなる。根には血圧効果作用があります。枇杷の種や梅の種はビタミン17があり、アミグダリンはアメリカではガンのレトリール治療で使われます。ニュウドウ草はご存知のように毒消し毒だしです。でも漢方では中薬なので長く多量には飲まないほうが良いでしょう。クコは実も葉も根も薬効がありますが、上薬で滋養強壮としても長く飲めます。


信次先生との2日目信次先生に会うことができた喜びの反面、私は自分が憑依されていたことにガッカリしましたが、しかしそのときすでに先に述べたように理解していたので、たとえ信次先生が憑依を取ってくれたとしても、まだ心根が変わっていないのでまた憑いてくるだろうし、自分で法を実践し精神がバランスを取り戻せば自分でとることが可能だし、それが自力信仰というものだと考え、あまり動揺はしませんでした。
 
 次の帰る日にまた八起ビルに行きました。講演テープでも買って帰ろうと思っていたのです。事務所に上がると友人はいませんでしたが、何んとまた信次先生が来ていました。私はもうこれ以上貴重な信次先生の時間をととってはいけないと思い、なぜか上の階への階段を一人で上って行きました。そうしたら何んと今度は信次先生のほうが私を追いかけて階段を上ってきました。私は信次先生に誘われるままソファーに二人で対座して座りました。
 「今どこで泊まっているの」
 [浅草です」
 「それなら、ここで泊まんなよ。寝るところは一杯あるからどこでも良いよ」と言いながら彼の視線が私の後ろに動いた。
そのフロワーは書斎のようで会議室のようで、奥行きがあり広々としていたが誰も人がいなかった。
そんな気さくな会話から始まり緊張感も無く、いまや50万人の信者を持つ教祖と言う感じも無く、イエス釈迦モーゼの上のエルランティとはとても感じられなかった。
 「今度3月の研修会に出ませんか」
 「大学から公立病に出向することになってるので参加できません」と残念そうに言うと、
 「そうですか、今ここのビルの2Fにテナントでおじいちゃん先生が開業していますが、その後是非ここに入ってくれませんか」
信次先生が今年48歳で自分が死ぬと予言されていたが、そんな会話の内容で、あたかもそれは悪い冗談だったという思いでした。
 「今すぐという分けに行かないなら、私の知っている病院に紹介するから、それまでそこにいて下さい」
私はそれに答える間もなくはやる心で信次先生に問いかけた。
 「私はどれくらい修行をしたら先生のように病気を霊視して治すことが出来るようになりますか」ときいた。
 「あと6年。胃カメラしなくてもカラーで胃の中が見れるようになるよ」と微笑みながら答えた。
 「出向から帰ってきましたら、また上京します」と私も答えた。
そんな冗談のような話が続いた後私は信次先生と分かれて事務局に戻り予定の講演テープを買いかえろうとしました。
帰りに出口でまた信次先生に会ったので、
 「今日は有難うございました」と会釈すると
 「うん、遠慮しないでね」と言う一言が返ってきただけであった。
しかしそれも私には画期的な一言でした。私が長い間信次先生に会う事を遠慮して迷っていたからです。彼はその心を私の守護霊に聞いていたか、見通していたのです。私にはその思いやり言葉のほうが信次先生の病気を治したり金を吐き出したり台風を動かしたりするような数々の奇跡より優れた奇跡の力と感動しました。ほんとの奇跡は愛の力が無ければならないのだと悟りました。
 話は少しそれますが、信次先生の神戸市での講演会の日、瀬戸内海を通って大きな台風が神戸を直撃してきました。こんな場合は台風を信次先生が吹き飛ばすと聞いていたので、興味を持ってみていました。まさか大きな自然現象を変える力までは無いだろうと追っていましたが、何んと神戸市の手前で中国地方に逆戻りしてしまいました。その代わり中国地方で6人の死者が出て複雑な気持ちにはなりましたが、
 

つづく
2015年6月30日

高橋信次(その①伝説の宗教家との遭遇)祝!!10万アクセスPV22万




私が35年以上肌身離さず持ち歩いています。しかしすでに暗記しているのでよむことはないのですが。。。表紙には”心経”の「祈願文と書いてあると思います。


知る人ぞ知る伝説の宗教家”高橋信次”


高橋信次を絶賛する精神科医医師会誌の投稿である病院の院長で、比較的高齢の精神科医が高橋信次のことを絶賛していましたので、私は「彼はきっと信次先生に会ったことがあるに違いない!」と思いました。と言うのは高橋信次のことは会ったことのある人でないと決して分からないからです。私は去年の12月の医師会の忘年会では、その精神科医に会って高橋信次のことを話すのを楽しみにしていました。
 
 そこで忘年会のときに早速彼と信次先生のいきさつを聞いたところ「自分はあった事はない。ただ彼の教えがとても素晴らしいと思ったので医師会誌に投稿しました」とのことでした。さすが一流のベテラン精神科医ともなるとその真髄が彼に会わなくても理解できたのでしょう。


誰も知らない私の真実すでに今年の1月に10万アクセス(すでに11万超えました)を超えていたので”祝10万アクセス”のタイトルで特別なことを書こうと思いつつ6月になってしまいました。しかし、1ヶ月に1回アップするかしないかの日記ブログにかくも多くの人がアクセスしてくれたことに感謝して、特別なことを頑張って書きたいと思います。

話の内容が奇妙で、正面から話すととても分かりにくい話ですので、きわめて簡略化したドキュメンタリー風に書きたいと思います


久しぶりの東京医局の人事で地方の病院に出向する前に数日の休日が取れたので、私は米子から伯備線に乗り岡山で新幹線に乗り換えて東京に向かった。まだ東京を離れてそんなに経ってはいなかったのであるが、久しぶりの東京のような気がした。山陰が田舎過ぎるのか東京が都会過ぎるのか何か大きなずれを感じる。それだけに新鮮だ。
 私はいくつかの用事をした後、浅草の八起(やおき)ビルに向かった。当時のGLAの本部である。川崎の病院で働いていたときにGLAの研修会で友人になった友達がGLAの事務局で働いていたので、彼に会ってその後のGLAの様子などを聞こうと思ったのである。
 八起ビルは信次先生が磁気テープを発明し大もうけしたてたビルと聞いていた。その会社のビルにGLAの東京本部があったのである。


予測しなかった信次先生との出会い私は友人に事前の連絡もしなかった。彼がいなければカセットテープでも買って帰るつもりでいた。彼は事務局にいた。彼は私の顔を見るとすぐに
「おい!信次先生が来ているぞ!といきなり私の腕をつかみ、彼のところに連れて行ったのである。
これは私にとってとても予測できないことであった。何故なら、信次先生は現在入院していて、周りでは「信次先生は自分の予言どおりに48歳で亡くなるのだろうかと」それぞれ心配し落胆していたのである。
 私も早くから東北の霊友に「早く信次先生に直接会いなさい」と言われていたが、「私などが信次先生のお時間を割くには恐れ多い」と遠慮していた。今となってはもはや会うことができないと思い、会うことさえ意識していなかった。それが今目の前にいたのだ。亡くなる3ヶ月前の外泊中であったのである。


観自在菩薩の奇跡観自在菩薩とは過去未来現在を瞬時に見ることのできる人のことである。そして話さなくてもその人の心が見える人。信次先生はまさにそういう人であった。
 彼は私が相談を持ちかける前に「患者の診療にもっと自信を持つこと」「教授のお気に入りだからしっかりやりなさい」と言って励ましてくれた。私は下手に宗教心が強かったので実は卒業後は患者の生死を自分が扱うことにとても緊張感を感じ苦しんでいた。無論多くの若い医師は多かれ少なかれそういうものだが、私はそれで少し鬱状態であったのだ。
 信次先生はそれを自在に読み取り私しか知らない状況のことを話したのである。これには本当に驚いた。さらに彼は私の病気のことにも言及した。
 彼は「あなたは急に心臓が打ち出すのですね!」と私に言った。そうなのだ私はWPWと言う心臓の伝導障害である。高校生のときから、1分間に60回くらいの脈が突然脈が160位になるのである。それは急にまた元に戻り、私は当時はそれで不自由を感じたことはなかっあので、それを誰にも言ったことはなかった。もちろん信次先生がそれをあらかじめ知っているはずも無い。


本当の「手当」ての意味昔の昔その昔、医者の治療は患部に手を当てるだけだった。手当てと言う言葉は本来そこから来ている。
信次先生は私の手をとり「どうですか感じるでしょ」と言いながら私の手のひらにパワー(ここではそう呼ぶことにします)を入れた。
私が「特に感じません」と言うと、少し頭をかしげながら、次に私の左胸を両手で挟みパワー入れた。相変わらず私は何も感じなかったが、何か引き去るような動作をして心臓と思われる手当てを終えた。
「左ひざも悪いね」と彼は言いながら私を応接台のほうに移動させ座らせた。再び彼の両手を私の左足の膝にしばらく当てた後、また両手を引き去るような感じで手を下に引き下ろした。だがしかし、このとき信次先生は応接台でひどく右手を打ってしまい申し訳なかった。
 左膝そのとき症状は無かったのですが、大学生のとき大学構内で原チャリに乗っていて車と衝突してはねられ、身体が空を飛んだことがある。しかし中学生のとき体操部でマットの花と呼ばれており、アスファルトに落ちる直前で首を曲げ込み前方転回、東部打撲の難は逃れたが、回転は右足でも止まらず、次に利き足の左足で思い切り踏ん張ったが叶わず左膝を思いっきり打ってしまった。
 激痛とともに「完全にパテラ(膝蓋骨)が割れたな」と思いつつ大学の救護室に顔が青くなって運ばれたことがあったのです。幸い骨折はありませんでしたが、このときの後遺症が残っている可能性は十分ありました。 続く・・・









農園の石楠花が咲きました。梅雨になる前の石楠花が好き!

2014年12月31日

慈悲魔の歌(日本を席巻する史上最強の悪魔)最終章




昨日は午前中仕事でしたので、恒例の餅つきには少しだけしか参加できませんでした。




まずは到着するなりなりおろし餅を頂く、ここの手作りの漬物は有機大根なのでとてもオイシイ、帰りに少し貰う




これが本日の目的の玄米餅の材料でセイロで蒸したところとつきあがったところ、私がつきました。少しだけ。。。


大人しい日本人、今年は慈悲魔に大いにやられた年でした
700億円の不要な選挙、特定秘密保護法案、集団的自衛権、原発再稼働、消費税増税、年金の減額もしくは各種保険の掛け金の値上げ、またTPPや相続税の増税など今後も色々苦しみがやってきます。私が餅つきに来ている農家もだんだん年を取って来たので、いつまで餅つき大会ができるか分かりません。2018年にはいよいよ減反政策の廃止により1反1万6千円出ていた補助がゼロ円になります。また既に米価が一表が16000円から半分になっているので、農家には受難時代と言わざるを得ません。自殺者も出てくると思います。TPPがそれに拍車をかけます。今以上の円安が来れば輸入、内需の比率の高い中小企業は倒れてくるところも多く出てくることでしょう。多くの日本人が不満を抱いているのに、慈悲魔にやられてもの言わぬ日本人。政治不信で選挙に行かないと慈悲魔の思うつぼです。やがて大悪魔が日本を間違った方向に導くでしょう。小沢一郎氏は悪魔のような顔ですが正義の人です。消費税を上げないという公約を最後まで守ろうとしています。菅氏や野田氏は公約違反です。自民党も野党の時は上げないと言っていました。中国と仲良くした田中角栄と小沢氏ははめられて、こともあろうに国民との約束を果たそうとしただけの小沢氏は、4年間も無実の罪で政治的な生命をほぼ断たれてしまいました。この暴挙に本人はもちろん誰も異議を唱えません。

兵糧攻めは日本が最も得意とする戦術だった私の祖先は福岡の添田というところにある岩石城の末裔と聞いています。難攻不落の城でしたが、とうとう秀吉の兵糧攻めにあい滅びました。一族は落ち武者となりそれ以来、先祖らいらい百姓です。「腹が減っては戦は出来ず」というのは全くその通りなのです。輸入に食料を頼ると他国に息の根を止められます。米が7倍と言ってTPPを進める理由にはなりません。ポストハーベストの米食べますか。日本が米を作らず、外米を買わなければならくなったら輸入米価は吊り上げられ七分の一にはなりません。餅つき大会に集まった農家の話では何処も跡を継ぐ者がいないで困っています。いても嫁が来ないと嘆いています。農ガールズというのはマスコミレベルの話です。農家の平均が66歳ですから10年もしたら消滅するかもしれません。エネルギーと食料は極力自給すべきです。




無農薬の米作りはとってもつらい仕事、中でも他の草取りは土壌のように田をはい回り、これをした人は百姓が絶対嫌になります。


テレビで怒りの特集で生出演。隣のキャスターが紹介した「怒らないクスリ(小学館新書)」


中途半端で終わっている私著「怒らないクスリ」とうとう増刷にならず終わってしまった名著ですが、この本の中身でも怒りは健康をとても害するもので怒ってはいけないと言っていますが、抑えてはいけないとも言っています。しかし十分ではなくこの慈悲魔のことがあるので、正しい怒りの出し方については改めてパート2を書くつもりです。本のコメントにもその辺の不満があったようです。怒りをだし会社で怒鳴ったりするとパワハラ委員会にかけられるか降格または左遷。暴力を振るえば犯罪者。怒りを抑圧すればうつ病。怒りを解決せずに感じなくなるまで消し去ってしまえば身体の病気(心身症)がまっています。慈悲魔にマインドコントロールされてしまえば地獄行きとなります。愛と勇気のない善人顔はとても危険です。

身体出てくる怒りもあるセロトニンが下がればイライラ、耐糖能が落ちて低血糖になれば怒りとパニック発作、更年期にエストロゲンが減れば不安と怒り、認知症となり前頭葉が委縮すれば怒りと興奮、ビタミン不足や低カルシュウム血症もイライラが生じます。その他微量元素が消失しても同じです。要するに食べ物が大事ということです。医食同源です。ガンも食事から、アトピーも食事から、認知症も食事と水から、うつも食事から、イライラと憂うつがありますか?それなら是非食事を見直してください。




左が白米の餅、右がビタミンミネラルなどの滋養たっぷりの玄米餅


それでは皆様良い年をお迎え下さい

参照

http://blog.goo.ne.jp/holisticdiarymk/d/20140617

http://blog.goo.ne.jp/holisticdiarymk/e/933b3b2dc7af8717f6cab3d5d031ce3b

http://blog.goo.ne.jp/holisticdiarymk/e/933b3b2dc7af8717f6cab3d5d031ce3b



2014年8月26日

死者よりも生者に寄り添え(形式宗教その①)




母親の18歳の時の写真があったので、現在の98歳の親に私の丸メガネをかけさせ、同じポーズで写真を撮ってみた


盆明けに心療内科の患者さんが増えました。今年は家内の里が初盆で、家内は13、14、15日と朝から晩まで里帰りで、当然かもしれないが私は食事作りと母親の介護で終わりました。母親はもうすぐ99歳となりますが、お盆に孫や子もその他誰も訪ねてくる事も無く孤独なお盆でした。一方死者のいる里では、大きな祭壇が作られお参りに来た人でも300人近く、お墓参りや精霊流しとまるでお祭り騒ぎです。死んだらみんな集まるが生きていれば誰も来ないというのも変なものです。盆明けには、お盆の準備や行事に疲れ果て、胃腸症状やその他の疲労で受診してくる患者も多くいました。ちなみに親戚も盆疲れで1人入院しました。一体何のための宗教行事なのでしょうか。また生きているときは寄り付かないで死んだらやって来るというのは一体どういうことなのでしょうか。

私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。という歌がありますが(千の風になって?)、実はその通りで49日が過ぎれば、魂はこの3次元世界から離れて行きます。だから49日でちょっとしたフェアウェルパーティを開くのは分かりますが、7×7の九の算ではあるまいし、初七日ふた七日、三七日・・・の宗教行事をして初盆から一周忌三周忌・・・と言う法事をしても如何なものでしょう。あまり現世の人が故人を思い騒ぐと、死んだ人が気になり成仏できません。

人生が終わるということは夢から醒めたようなものこの世から死んだ人のことを考えると、さぞかし淋しい思いをしているのではないかと思うでしょうが。もともとこの世は現世(うつしよ)で、映画の一幕のようなものなのです。真実の世界(実在界)はあの世にあるので、あの世に帰った者は基本的にはこの世には執着しません。しかしこの世に執着して地縛霊や浮遊霊となっている人も多くいます。そういう人の霊を慰めることは価値があるかもしれませんが、成仏した人には失礼だし、何やかやと名を呼ばれたり、死んでしまった自分の事を思われると気になって迷惑です。一体昨日見た夜の夢を現実のようにいつまでも引きずって生きている人がいるでしょうか。そんなことは忘れて皆、家事に仕事に一生懸命です。それと同じようにあの世に行けばすることが多く、すでに過ぎ去った一夜の夢のような「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢(豊臣秀吉)」この世のことなどはどうでも良いのです。

三途の川の渡り方以前にも書いたような気がしますが、そういう分けで、人の葬式や法事に行って意味の分からないお経を聞くより、生前は三途の川のわたり方くらいは勉強しておいた方が良いと思います。三途の川は幽界と霊界の境界というか、死後の世界への関門というか色々な意味があると思います。まず死んだら先ほど言ったように夢から醒めたのですから、夢の内容に係らずすべてを諦めなければなりません。財産名誉その他の執着になるもの一切をあきらめなければなりません。「ああとうとう死んじゃった!!仕方ないな~~」といった感じです。三途の川は船で渡る人、泳いで渡る人、泳ぎ切れず途中で沈んでいく人、橋で渡る人、あるいは三途の川は小さくてまた越して渡れる人と様々かもしれません。執着になるものはすべて三途の川に捨てなければ渡りきれないということはあると思います。お高い戒名などはむしろ重荷になりますので、如何なものかと思います。お金の執着に関しては、六文銭くらいの渡し賃くらい有れば良いというほどほど感がベストでしょう。

三途の川の向こう岸ここでは奪衣ばあさんがいて、天国か地獄か決まるとか、エジプトでは心臓の重さと同じでなければ地獄に行くとかありますが、みんなテキトーだと思います。閻魔大王の裁きと言うのがりますが、それも象徴的なものと思います。結局自分を裁くのは自分自身です。自分の人生を浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)で自分の人生を走馬灯のように一気に見せられ、生前の善悪の行いがすべて分かることになり、その判断から自分で地獄や天国に行くことになります。

良心は魂の心臓分かりにくいことですがこう考えれば簡単です。人間には誰もが良心というものを持っており、例外はありません。生きている時はこれが抑圧され悪いことをしてしまいます。この世がすべてとか、私がいつも言う三つのさえ病(自分さえよければお金さえあれば今さえよければ)に侵されている人は良心が委縮しているだけですが、死後は良心が肥大化しますから「とんでもないことをした、ああ恥ずかしい」という思いで一杯になり自ら地獄に落ちていくことになるのです。すなわち己を裁くものは己自身にある良心ということなのです。人間の体にある心臓が衰えると、身体機能が落ち行動範囲が小さくなるように、魂の心臓である良心が小さく機能が無くなれば霊魂は高次元の世界に到達できないのです。すなわち宇宙即我の霊魂に至るには良心そのものの生き方ができないと不可能であるということです。

つづく・・・
2014年6月17日

慈悲魔の歌(日本を席巻する史上最強の悪魔)その3


朝天神での仕事が終わってアクロス福岡まで歩きB2の喫茶でランチタイム。ここは本来ホットケーキが美味しい店で(菊竹珈琲堂)、いつもホットケーキしか食べていなかったのですが、このゴルゴンゾーラチーズとサラミとレタスのサンドイッチのランチが美味しくて(サラダとスープとデザートと珈琲付きで消費税込840円、何よりもゆったりとして喫茶の雰囲気がある)、それ以来ここでホットケーキを食べたことがありません。サンドイッチのパターンは3,4種類あります。


しかし何よりもこのゴルゴンゾーラのチーズ入りが一番おいしい、というか他のを食べたことがりません。


食べ終わって会計の時にこのパンフレットがそばに置いてありました。手に取ってみるとランチタイムコンサートで禁じられた遊び(愛のロマンス)とアルハンブラが目に入りました。矢入のギターをかっていたので、またギターを始めるきっかけに聞いてみたいと思いました。中学の時に禁じられた遊びをお覚え、高校生の時にアルハンブラを覚えたのですが、30年以上も弾かなかったのですっかり忘れています。というか医者になって、右手の爪を伸ばすことができず、クラッシックギターが弾けなくなっていました。

慈悲魔の最初の狙いお釈迦様が法を説かれ、睡魔にも打勝って少しずつ悟りを得る段階で、今度は慈悲魔が狙ってきます。悟りの修行の原則は反省なのですが、その反省が誤ると自虐となり、罪を恐れ何事にも消極的になってしまうのです。「そうだ罪を犯すと地獄に落ちるぞ!他を攻撃せずに自分の方が反省しなければならない!」そう慈悲魔はささやきます。宗教ではご丁寧に戒律などができ、あれをしてはいけないこれをしてはいけないと自由な心を縛り、身動きが取れなくなってしまうのです。そういったある種マインドコントロールされた状態に攻撃的な大悪魔が出てくると、彼らに教団が占領され大変なことになるのです。教えが良く教団が大きくなってくると、信者の隅々までの管理ができずにこういった現象が生じてきます。多くの新興宗教も最初は良いのですが、この慈悲魔の攻撃で途中で信者も教祖も変なことになってしまうのが多々あります。

孤独な天使悪魔にとって一番怖いのは法が説かれ人々が悟ってしまうことです。私がいつも言う現代人の3つのさえ病(自分さえよければ、お金さえあれば、今さえよければ)に罹った人(あの世が無いと思っている人たち)は、死後あの世で恐怖と孤独と不安でパニック状態となります。その心がすでに地獄の状態となっているので、自動的の地獄に落ちてくるので、悪魔には関心がありません。問題は死んでも平静でいる人、しかも地獄の世界から仲間を大勢天国に連れて行く人が怖いのです。地獄からすればそういう天使が悪魔で人さらいなのです。ですから天使は生まれたときからマークされ色々と妨害がなされます。天使は人々を助けるのにも大変なのに世俗の人に理解されず、憑依された人から攻撃され邪魔されるので、孤独で大変な人生を歩まなければなりません。天使はその人生を通して孤独なのです。

慈悲魔の狙いは日本神国日本と言うとしらける人が多いと思いますが、しかし東西の文化、東西の医学の合流地点である日本が、世界における精神文明の発祥地となることは十分考えられます。今世界各地で数多くの争いがあります。しかしもはや日本は戦争や原爆などを体験し、悟りの段階に入っています。それを慈悲魔が黙って見ているはずがありません。ここから精神文明が世界に伝達したら、多くの悪魔がこの地球自体に住めなくなって来るからです。この努力家で内省力のある慈悲深い日本人を支配しマインドコントロールし、何とか世界の戦争に巻き込みたいのです。

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これは福岡市の東公園にある大きな日蓮上人像です。元寇のときをあしらったものです。父が胃癌で入院した九大病院に見舞う時、吉塚駅で降りてこの銅像の下を通って行きます。7歳の私はこの銅像の下に彫られた絵がとても印象深く恐怖感すら覚えました。久しぶりに訪れてみましたが、その迫力は子供の時と変わりませんでした。何十年も撫でられてきた聖人の顔の所がオーラのように見えます。早くこの日本に真のメシアが出てこないものでしょうか!!


結局、次の日もコンサートに来てここで同じものを食べました。博多は食べ物が美味しくてしかも安い。人情味もある。文化度も非常に高い。このコンサートも良かった。家内に聞いたらこのアクロス弦楽四重奏団は有名でバヨリンの人は芸大出の人がいるらしい。ギターも良かったが見事なバヨリンに驚嘆しました。世界のすべての所がこんなところであれば良いなと思います。